ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

義母にイライラするとき

今日は、義母にイライラするときの裏側にある感情について考えたので、書いてみようと思う。

 

子供が風邪で保育園を休んでいるのだが、鼻水程度で元気。外は猛暑で遊びに行ける温度ではなく、といって、室内で一日過ごすのはなかなかキツいなぁ、と悩んでいたが、本人が図書館に行きたいと言ったため、それで予定を立てていた。そこに、義母が野菜を出しにスーパーに行くから一緒に行かないかと言ってきた。

断ったのだが、そこでイライラが発生。「子供はもう大きいのに、いつまでも小さいころと同じことを考えている」「余計な提案してきて…」

考えてみたら、せっかく提案してくれたのに、その通りにできない罪悪感があることに気づいた。相手の意に添えなかったことに対する申し訳なさを引きづってしまい、しまいには、相手を責めてしまうまでになってしまった。

考えてみれば、私が子供との過ごし方に悩んでいるのを聞いて、わざわざ考えてくれたのだから、感謝するべきなのだ。それでイライラして怒られるなんて、全く割に合わない。私が扱いにくいと思われても仕方ないだろう。

けれど、「とにかく、相手の言ったとおりにしなければ」という強い気持ちが私の中にあり、苦しくさせてくるのも事実なのだ。しかし、この程度の提案でもここまで不快になるのだから、完全に意に反している、義父との関係でつらくて仕方ないのも無理はないのだなぁ、と思った。

 

昔から、他人が好意で私の仕事を手伝ってくれたりすると、「余計なことをして!」とイライラすることが多かった。これも、感謝されて当然の場面なのだから、相手からしてみたら「どうして?」となるだろう。自分でもそれがわかるから、「私は何てひねくれているんだろう」と自己嫌悪していた。

しかし、ここにも、裏側の気持ちがあった。私は、「自分の仕事は一人でやらなくてはいけない。他人に迷惑をかけてはいけない」という気持ちが強かったのだ。なので、これも、惰性でイライラせず、思い込みを上書きして、相手に感謝することで落ち着けるのではないかと思う。

 

それから、子供と話していたり、返答に困るような内容だったり、的外れでイライラするときに、良い返事ができないと「何で今言うの?」とか「つまらないこと言って!」とイライラが始まってしまうのだが、ここにも、「常に良い返事をしないといけない」という思い込みがある。

色んな状況も、感情もあるし、ある意味、生返事をすることが意思表示ということもあるかも知れない。実は、相手は大して気にしてない可能性もある。

 

義母はかなりポジティブな部類の人だ。なので、割と頻繁に、日本人にしてはかなり珍しい自分褒めを口にする。単純な自分褒めなら、「そんなこと普通言う?」と思いながら、まあ、そういう人なんだと思えるのだが、子供が絡むとどうしてもイライラしてくる。

春以降、忙しくしていることが多く、朝から晩まで一人で子供を見ていることが多い。まあ、もう4歳だし、日中は保育園なのでそこまで苦ではないが、たまに面倒をみていて、出かけるときなどに「私がいなくて大丈夫?」などと言う。いえいえ、貴方が珍しくいるだけで、私は昨日もおとといも一人で全部この子見てますけど、と思ってイライラしてくる。ただの確認なのかも知れないが、私には、自分が評価されていないと感じるのだ。

 

義母は、育児の悩みや不安をほとんど聞いてくれたことがない。話すことがあまり得意でないのかも知れないが、私には、面倒臭いことは聞きたくないという態度に見える。楽しい話ならちゃんと聞くのに、重い話になると途端にスルーモードに入るからだ。

まあ、それだってその人の、他人との向き合い方のスタンスなので、私に口を出せることではないが、それに気づいてから、私は義母にほとんど相談しなくなった。「頼ってくれない」などという言葉を口にしていたことはあるが、真剣な話をスルーするような人を、私は信用することはできない。でも、そのことで自分を責めて苦しくなることはよくある。

 

少し前まで、私は、義母の前では、2倍くらいの強さで子供を叱っていた。「当てつけ」だった。「ほら、私は子供が言うことを聞かなくて、こんなに大変なのに、あなたは何もしてくれないよね?!」と言外に責めた。それが伝わったのか、義母はだんだんと、子供の面倒を見てくれることが減ってきた。そのことで随分と自己嫌悪もしたが、上記のような理由でイライラすることも多かったので、それがない分、楽でもあった。

なので、たまにいると、何から何までイライラする。あまり、一つひとつの言葉を真に受けない人ならいいのだろうが、基本的に配慮が足りず、無神経な言動が多いので、いちいち引っかかる私には、なかなかにしんどい相手なのだろう。

この辺り、私もスルーを学べれば、ぐっと生きるのが楽になりそうなのだが、以前からの思いもあり、四苦八苦しているのが現状だ。