嫌なヤツにも理由がある

この10年で知った心理学・引き寄せ・育児のことなど

父の存在と、私の生い立ち2

自分の気持ちがわからない私は、進路も常に、父にダメ出しされないことが基準だったし、仕事選びも、周りから見て浮かないことしか考えなかった。信念も自信もないので、就職率が悪い時期だったのも事実だが、今思い返せば、私を採用する会社がなかったのも当然だと思う。

結局、中途採用で入社した小さな会社が5年でつぶれ、以後は、派遣や契約社員を続けた。長期で契約してもほとんどの仕事は数年でなくなり、それ自体は私のせいではないのだが、最終的な人間関係はあまり良いものではなく、いつも自己嫌悪で終わった。

 

それから紆余曲折があって、私は結婚し子供を産んだ。そして、義父のモラハラを受けた。ここでも、無意識に「良い子」を選択してしまう私は、明らかに虐げられている関係から逃げることができなかった。

だが、産後の私は心身ともに限界を迎えており、毎日泣き続け、義父の死まで願うようになり、ストレスで母乳まで止まるようになってしまったら、もう、義父を避ける以外になかった。

 

途端に、「怖く」なった。

その時点では、自分の気持ちを正確に把握はできていなかった。

けれど、今ならはっきりわかる。私は「怖くて」しかたなかったのだ。

 

こんなことするのは、「良い子」じゃない。

「良い子なら、怖いことは起きない」。それはつまり、「良い子にしなければ、怖いことが起きる」ということ。

怖くて怖くて、私は無意識に「怒り」を選択した。

「怖い」気持ちがわいたら、「怒り」でそらす。

幸いかどうかはわからないが、義父に怒る要素は山のようにあった。「あいつは私にひどいことをした。許せない!全部、あいつが悪い。私が、こんな人道に外れたことをしなくてはならなくなったのも、全部あいつのせいだ!」

 

怒っても、怒っても、怒りは底をつかない。当然だ。私は怒ってなんていなかったんだから。

怒っているのに、相手に我慢させていると思うとたまらない気持ちになり、「死ねばいいのに!」とさえ口にしながら、私に気づかないでほしいと願って自分の気配を消そうとする。

自宅にいるときは気の休まるときはなく、気を抜くと、怖くて怖くて仕方ないから、ひたすら怒り続けた。

常に、私と一緒にいた娘は、一人で怒り続ける私におびえ、次第に、自分だけの世界を確立していく。娘にもともと、発達の問題があったのかはもうわからない。けれど、私のこの状態が、娘の心に大きな問題を残したのは間違いないと思う。

 

そのうち、怒り続けることに疲れてきた。何年も何年も、自分のことも子供のことも放置して怒り続け、私はボロボロだった。

1年半前、酔って挑発してきた義父にキレて、3年分の怒りをすべて吐き出したとき、初めて違う感情が見えた。

理解してもらえなかった悲しさ、大切にしてもらえなかったくやしさ、私の痛みを分かってもらえなかったつらさ。一つひとつ、その感情に向き合っていくうちに、一番最後に残ったのは「怖さ」で、私は両手で身体を抱きしめて震えた。親の暴力におびえる小さな子供に戻ったようだった。

 

今でも正直、「怖さ」はある。

義父の姿を見る度に、反射的に「怒り」が口をついて出て、そこから意識をそらそうとする。

それでも、私は、その奥にある「怖さ」と向き合う。

そして、自分に言い聞かせる。

「私は、父の考えではなくて、自分の気持ちを大切にしていいんだ」「そうしても、怖いことなんて起きないよ」「何かあっても、私はもう大人で、自分の力でなんでも変えられるんだから」

 

娘が異常なほどに「怖い」と言うのは、もしかしたら、私すら気づいていなかった「怖さ」をずっと共感していたからかもしれない。

ここまですべて消化して、私は今、娘に伝えている。

「大丈夫。怖いことなんて起きないよ。お母さんも、お前も、これから、今までの分までたくさんたくさん笑おうね」

 

娘がこれからどうなるのか、正直わからない。私のしてきたことが子供の人生を台無しにしたのかもしれない。けれど、私自身も、ここに書いたように、これまでは本当にどうすることもできなかった。

とにかく、今日一日を子供と笑顔で過ごす。その先に、1年後、そして、その先がある。そうやって、生きていこうと決めている。

 

よく、発達障害の子供を変えてはいけない、という話を聞くが、私は数少ない、発達障害の親に過度に適応させられた人間ではないかと思う。

父は毎日同じ時間に同じことをすることを好み、家の中に絶対的なルールを作って、例外を許さなかった。

私は父に怒られないため、そのまねをしたのだが、正直、やりたくないこともあったし、始めたことに興が乗って一日中続けてしまうこともあった。そして、大人になっても、そんな自分をいつも責めていた。

今、ようやく私は、そんな自分を一つひとつ取り戻している。朝起きてから、やりたいこと、食べたいことを考えて、それを実行する。時間割やルールではなくて、自分の心に従って生きる。

それが心地いい私は、多分、父とは全く異なる人間だったのだ。

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父の存在と、私の生い立ち

気がついたら、2か月も放置していたが、その間にまた大きな心の変化があったので、久しぶりにブログを書く。

義理の父に感じ続けていた怒りの正体がようやくわかった。

 

私の実の父はおそらくアスペルガーだ。うすうす思ってはいたが、発達障害の本を読むうちに確信になった。家族の間で幾度も繰り返されてきた、全く通じない会話は、自閉症の特性を示しており、父が実家中の壁に貼り付けていた、様々な物事の手順の紙は構造化の手法だ。

それを知ったとき、私は、苦手な父に尊敬すら覚えた。父は自分の特性を知らない。75歳になる父は、誰かに生きやすくなるアドバイスを受けることもないまま、自分の苦手を克服するために、書いて頭をはっきりさせるという方法にたどり着き、それを実践してきたのだろう。頑固で例外を認めない父は、その一方で、負けず嫌いで努力家だった。

私が発達障害を知ることは、父の人生を知る意味もあったのかもしれない。

 

そんな父は、祖母から虐待を受けていたのではないかと思える節もあった。私は、共働きの両親と同居する、祖母の子守で育ったのだが、祖母が父に向ける言葉は、子供心にも、とても身内に向けるものとは思えない冷たい発言が多かった。父はそれを淡々と受け止めていたが、あれが日常化しているのはどう考えても異常だろう。

もっとも、戦後、女手一つで貧しさの中、息子二人を育て上げた祖母にとって、父はおそらく大変な子供であったと思うので、そこは同情できなくもない。また、祖母自身もかなり不遇な身の上で、そのためなのか相当に難しい気質の人で、もしかしたら、何らかの障害を持っていた可能性もある。痴呆になり、施設に入居してしまった今となっては、もう本当のことは誰にもわからないが。

 

父の話に戻る。

父は、フルタイムで働いて唯一の休みの日曜日は家事に追われる母に代わって、休日は多くの時間を子供に使ってくれた。本の面白さを教え、科学の楽しさを話してくれた。晴れた日には、弟と私を自転車の前と後ろに乗せて、近所に散歩に連れて行って、そこかしこに見えるいろいろなものの話をしてくれた。私の目には、父には知らないことがないのではないかとすら思えた。

その一方で、とてもしつけに厳しく、わずかな例外すら認められない特性は、ちょっとしたミスに対しても激しく怒鳴った。意見が合わないということは絶対に許されず、他愛もない言い合いをきっかけに、食事のテーブルをひっくり返したりする。また、酒が好きで、大量に飲んできては、気にいらないことがあると、すぐに母を殴った。不機嫌になるといつまでもイライラしているから、家族はとても気を使った。

 

こんな父がいたら、さぞ、怖い思いをしてきたと思うだろう。ところが、私には、父を怖いと思った記憶がほとんどない。弟が「子供のころ、いつも怖かった」と言うのに、私はどこか飄々としており、父を避けながらも、どこか俯瞰してみていた。

 

けれど、本当は、私はとても怖かったのだ。

いつ怒り出すかわからない父がとても怖い。怖くて仕方ない。怖くて怖くて、とても平常心ではいられない。

だから、私はこんな思い込みを作った。

「お父さんは、私が良い子にしてれば怒らない。良い子なら、怖いことは起きない」

これで、大丈夫。もし、怒られたとしたら、私が良い子じゃなかったから。ちゃんと守って良い子になれば、次は怒られない。怖い思いをせずに、静かに暮らせる。

 

そして、私は、それを守り続けた。父に怒られたこと、父の説教、誰かの噂話。

耳をそばだて、次々に吸収していく。これを守れば、良い子になれる。お父さんの気にいる子なら怒られない。

そのうち、どうしてそんなことを始めたのかも忘れてしまった。ただ、そうしてできた強固なルールだけが無意識に動き、私の行動を決めさせる。

時々、とてもとても苦しいときがあった。きっと、それは嫌だっていう思いがあるからだ。何も感じなくなればいい。そうしたら、望む人間になれる。

とうとう、私は、自分の気持ちを感じることもやめてしまった。

 

30代になったころ、私は人生に行き詰まり始めた。

例えば、ある会社に入る。最初は、良い人たちに恵まれてよかった、と思う。けれど、過剰な気遣いと我慢を続けている私は、すぐに限界が来る。「助けて」と言えればいいのだが、そこにもブロックが入る。人に頼ることは「良い子」のすることではないからだ。時には、相手が心配してくれても、「大丈夫です」と言ってしまう。それでいて、「どうして、さらに突っ込んで助けてくれないの?!」と、訳のわからないことで怒り始める。

当然、私の怒りは伝わる。次第にギクシャクし始め、やがて衝突してしまう。うまくいかなくなる人は、確かに気遣いが足りないことが多いのだが、その度に問題を起こしていたら、私の人格に問題があると評されてしまうし、何より、どんどん自己肯定感が下がっていく。

そして、その度に、もっと我慢しなければ、とさらに逆の方向に突き進んでいった。

 

長くなったので、続きはまた後日。

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初めてのリハビリ

子供が自閉症スペクトラム障害と診断され、リハビリを受けることになった。

現在、保育園ではほとんどしゃべらないので、言語療法が最適なのだが、4歳児では、1時間言葉の勉強をするというのはなかなか難しいので、作業療法士さんの下で半分遊んでリラックスしたところで、「少しお勉強しようね」という流れになるらしい。

 

子供のことで、保育園の先生・園長先生・保健師さん・病院の先生・看護師さん・療法士さん・心理士さんと関わってきたが、誰もが親身になって話を聞いてくださって、今まで、誰に話しても「そんなものじゃない?」的な(知識がないから、仕方がないんだけど)反応しかなかった状況から、いろいろと相談できる人が一気に増え、味方が増えたようで、少し心強い。

また、そうなのかな、というグレーな位置より、はっきり診断された方が、これからどうしたらいいか考えていくこともできるので、少し前よりは、やるべきことが明確になった気がする。

 

初めてのリハビリは、病院の受付まで、作業療法士さんが迎えに来てくださっていた。

まずは、診断。「具合の悪いところはありませんね」「はい」というやり取りの後、リハビリの部屋へ。

小児用なだけあり、中に入ると、有料のプレイルームかと思うような、トランポリン・ボールプール・滑り台・天井から下がるブランコなどがあり、子供は大喜び。早速、トランポリンに飛び乗った。

夫も一緒に来てくれていたので、子供の相手は任せて、私は作業療法士さんと発達状態について話をした。

そこまでの過程で、療法士さんはすでに「突然、飛び出していくところもないし、目も合うね。話してることもちゃんとわかってるみたいだね」と、いろいろチェックしてくださっていた。

 

話していく中で、とても参考になったのが、「私たちはみんな、自然と先に起こることを予測しているんですよ。でも、発達障害のお子さんは、それができないんです。だから、保育園に入ったばかりのころは、すべてが怖くて仕方なかったと思います」と話してくださったこと。「これからすることなどを前もって話してあげるといいんですよ」と教えてくださった。

ここからは、私の勝手な考えなのだが、うちの子は、転がり落ちそうな、崖に近い坂を下りようとしたり、深い側溝に身を乗り出すことが多かった。これはもしかして、予測ができないから、なのだろうか?

また、私が踏み台を持ってきて、置きたい場所に子供が立っているときなど、どいて欲しいと待っていても、ぼんやり立っているだけで言われるまでどこうとしない。こういうのも、予測ができない故なのか?

そんなことを考えていたところ、散歩に出たら、ガードレールの反対側に出ようとしたので、「この柵はね、危ないからこっちに行かないでね、ということなんだよ。こっち側を歩こうね」と説明した。いつも「何で、柵の向こう側に行くの?!」とイライラしていたが、この子には根気よく、こういった暗黙のルールを教えていかなければならないのかもしれない。

でも、これで、私がこの子に持っていた「不可解さ」の一つが明らかになった気がする。

 

また、発達障害の子によく言われる「言葉より、絵や写真が良い」という話もお聞きした。切り替えができないのは、言葉が頭に入ってきにくいから。口で言うより、絵や写真を見せて「お風呂行こうね」などと誘った方がいいと話してくださった。

 

チェック項目に答えていったところ、全身や手先の運動能力は年相応だったようだ。問題は、社会性・言語・聴覚など。こちらは、すべてそろって3歳ぐらいを示していた。

「これは、心の問題だね」と療法士さんはおっしゃった。「発達障害のお子さんは、普通の子、って言っちゃいけないのかもしれないけど、と比べると、とても頑固に感じられるところがある。大きな音がしてびっくりしたからもうこの建物は絶対に嫌とか、注射が怖かったから白衣の人は全部だめとか」

それを、「心のシャッターが下りた」と表現された。

 

 

これも納得だった。進級までは、子供は年相応によく話したし、笑っていた。怖がり・返事がない・切り替えができない、といった育てづらさはあったが、これらが発達障害の特性ならうなずける。

進級後、徐々にしゃべらなくなり、同時に園では、一つひとつ出された指示しかしなくなった、というのも、そこで何かしらの心の問題が起こったのだろう。

 

私は、進級のときにあったことを思い出した。

昨年、春休みを目前にしたある日、子供がヒトメタウィルスに感染した。休みのまま進級となり、私は荷物を取りに行って、担任の先生にご挨拶をしてきた。

入園して2月くらいだったが、子供は別れ際に笑顔も見せるようになっており、私は安心していた。園では、「もうすぐ上のクラスになるよ。おねえちゃんになる前に、服を着られるようになろうね」と言った話も頻繁に出ていたらしい。

ほほえましい話だが、なぜか、子供は上のクラスを嫌がった。今思えば、未知の生活に不安を感じていたのだろうか?「先生は変わるかもしれないけど、お友達は一緒だし、今と同じように楽しんでいればいいよ」と話してあげればよかったのだろうか?

育児書などから、不安を共感し、あまり私も不安を見せないようにする、という感じでいたが、あまりよくなかったのかもしれない。

 

更に、ヒトメタは私にも感染した。39度台の熱は40歳過ぎの身にはとても堪えた。10年前にインフルエンザにかかったときには、(今やったら怒られるが)熱が下がった翌日に出社して普通に仕事をしていたのに、熱が下がってもフラフラして、子供のおもちゃを2つ3つ片付けただけで動けなくなる有様だった。

3月の末ともなると、専業農家の家族は忙しくなり、自宅療養から春休みに入った子供の面倒は私が見るしかない。まさか、こんな高熱の出るウィルスに感染した状態で、実家に戻る訳にもいかない。おまけに、義母は、子供を見てやると言いながら、ふらりとどこかに行ってしまう始末。

起き上がるのもやっとの状態で、全く言うことを聞かない子供を見るストレスは、当時、不信感の塊のようだった義母といるときに噴出した。「何にも言うことを聞かない!こんなにつらいのに!早く保育園に行けばいいのに!」子供のいる前で、語気荒く、私は子供の愚痴を言った。子供に聞かせるというよりは、忘れるのか、適当に言ってるのか、あてにしてるのに約束を破る義母に対する怒りを表していたのだが。

なんとなく、そのことを今でも思い出す。不安になっていた子供に寄り添うどころか、突き放してしまった、と思うのだ。

 

ただ、子供が心を閉ざしたのは、長い目で見るとよかったのかもしれない、と思うことはある。何もなければ、多分、それなりに園生活は送れたような気はするからだ。

その場合、子供のつらさは見過ごされ、私も子供との関係について真剣に考えることなく日々を過ごしていっただろう。そして、入学か思春期か、はたまた私のように中年期か、どこかでたまったツケを噴出することになったに違いない。

子供を理解し、関わり方を改める、とても良い機会になった。正直、まだまだしんどいことは多いけど、早くてよかったと思うのだ。

 

小さなうれしいこともあった。エレベーターの中で、私が療法士さんに「よろしくお願いします」と言ったところ、同じ言葉を子供が言った。私も、療法士さんも驚いた。

それから、ブランコに乗れた、と隣の部屋で話していた私をわざわざ呼びに来てくれたこと。そんなこと、しばらくなかったからうれしかった。

月2回はリハビリに通うことになるらしいので、休日は混むところに行けない分(子供が怖がるので)、リハビリ後の平日の昼間、公園でおにぎりを食べたり、海にいったりするのも楽しいかもしれないと、想像を膨らませている。

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発達障害の本を読んだ

発達障害の本を読んだ。

 

弟が、うちの父はアスペルガーではないかと言っていたことがあったので、アスペルガーの夫を持った妻の対応について書かれた本を母にプレゼントした際に読んだことならある。

 しかし、そのときの本の趣旨は、知らずに結婚した相手がアスペルガーだなんて、何という災難!お気の毒ですが、アスペルガーって、一生治らないんですよ。離婚するつもりがないなら、特性を知って、どうしようもないことは我慢しましょうね、という印象(手元にないので、読み誤ってたら、申し訳ないですが…)

 

対して、今回は、発達障害の子を持つ親に対して、その特性や心の中を知るために書かれたもの。

幾度も出てくるフレーズは、「(苦手なことに対して)これは発達障害の子の特性です。病気ではないので、『治る』はありません。親御さんもショックだと思います。でも、一番苦しいのは本人なのです。特性を知り、必要な支援を行うことでお子さんの自立を助けましょう」

 

内容的には、同じようなことを言ってるんだけど、「ホント、何アイツ?!」的な恨み視点か、わが子への愛視点かで、ここまで違うものかと思った。

実際、私は、父の生い立ちへの思いが180度変わった。

 

うちの父は細かい。あらゆることをメモする。手順を書いて、壁に貼る。家に初めて入った人は、説明書きだらけの家にぎょっとするのではないかというレベル。父に対して長らく複雑な感情のある家族は、「いちいち細かいよね。何、あれ?」といったような目で見ていた。

しかし、これ、自閉症スペクトラムの子に必要な措置なのだそうだ。例えば、朝やることを「1,顔を洗う 2,ご飯を食べる」といった風に書いて貼る。自閉症スペクトラムの子は、頭の中がごちゃごちゃして整理できてないので、文字で見るといいらしい。

父は、自分の苦手を、一人で考えて克服したのかと感心した。

 

また、なんとなくみんながやってるルールがわからない、という。「会話とか、雰囲気から、みんながそうしてるから、私もそうしよう」というのが読めないのだ。これは地味に迷惑だし、空気をぶち壊したり、あきれられることになる。

読めない以上、教えてあげるしかない。「何でこんなことを」などと思わずに、いちいち説明する。理解さえすれば、次はしっかりと守る、という。

以前、こんなことがあった。

食器洗いのとき、実家では、水につけるたらいのようなものがなかったので、私は並べた皿に水をかけていた。すると、父が「なんて、もったいないことをするんだ」と怒り出した。「こうやった方がふやけて落ちやすくなるんだよ」と説明したら、納得してくれた。

それからである。父が洗い物をする度に、鍋の水切りまでよけ、広くなった流しに、一斉にすべての皿を広げ、水を入れ、薬を飲む間ふやかしてから洗うというルールを作り出したのは。ちなみに、ここに水の入ってない皿を置くと怒られる。

家族は「何でそこまでやるの」とあきれてみていたが、これ、まさに、「理解したら、しっかり守る」なんじゃないだろうか。

 

それから、「カレーにソースをかける」と言う子の話があった。

給食のカレーにどうしてもソースをかけなきゃいけないという。先生が探してくると、今度は、クラスの他の子にまでかけ始める。いらないと言っても聞かない。

これは、自閉症の子の中で、ルールが絶対なので、「家ではかけるけど、学校では違うんだな」とか、「ほかの子は違うんだな」という発想が持てないからだという。

こういうやり取りは、父と何度もあった。家族全員、父の融通の利かなさに呆れかえる。「本当に、あの人は頑固なんだから!」と言われ、孤立していく。

これも、特性だったのか…。

 

 

本人は普通にしているだけなのに、アイツは空気が読めない、頑固だ、すぐ怒る、と言われ、嫌われていく。そうするともう、いいところなんか、見ることなんてできないだろう。

私の祖母は、長男である父を嫌い、次男ばかりをかわいがった。確かに、娘の私から見ても、短気で融通が利かず、酒を飲んでは怒って暴れる父より、ニコニコしていて優しい叔父の方が好ましかった。

けれど、祖母の父に対する言葉は、子供心にも「ひどいな」と感じた。自分だって、面倒を見てもらったり、頼みを聞いてもらったりしてるところもあるのに、都合が悪くなるとすぐに「お前となんか暮らしたくなかったのに、〇〇(叔父)が婿にいったから仕方なくここにいるんだ」とか、「お前は、あのろくでもない父親にそっくりだ」といったようなことを言っていたのだ。小さいときなどは、虐待めいたこともしていたのではないかと思っている。

 

でも、祖母も大変だったのかな、と、同じ、育てにくい子を持った母親として思った。

もし、私に下の子がいて、「これ、やってみたら」と勧めたとき、素直に「うん!」と言ってやってくれる子だったら、次第に下の子の方が可愛くなると思う。親だって、菩薩じゃない。感情を持った人間なのだ。もちろん、それも処理できるのが理想だけど、私のように、祖母の代(もしくは、その更に上)から続いている、負の連鎖を引きずった身では、それもなかなかままならない。

まして、祖母は貧しい中、二人の息子を一人手で育てなければならなかった。そのストレスは相当だっただろう。

そこに、空気を読めず、頑固で譲らない長男。けなされ、怒られることで、父はより頑なになり、凶暴になっていったのだろう。

「しつけが悪いのは母親のせい」とされる文化が今よりもさらに強い時代。片親であることで、引け目を感じながら、そこもなじられ、そのストレスは父に向っていったのではないだろうか。

 

誰も悪くない。たまたま、父がそういう気質に生まれただけだったのに。

 

 

ちなみに、発達障害の有名なものには、ADHDがあるのだが、義理の父はこれかもしれない。

特徴は、「人間関係に支障が生じるほどの不注意や多動」。具体的には、「やるべきことよりやりたいことが優先」、「気が散る」、「忘れ物が多い」、「ものをなくす」、「時間に遅れる」、「じっとしていられない」

読んでみて、これは親御さん、大変だわ、と思った…。怒りたくなる、その気持ちが本当にわかる。「ほかの子はできるのに…」と言いたくなるだろう。特性と飲み込んでも、「どうして、うちの子だけ…」という気持ちが繰り返しわくだろう。

もし、義父がこれなら、父と同じだ。本人は普通にしているだけなのに、怒られる。自分ではどうすることもできない。次第に、自己肯定感が下がり、他人をけなす、傷つけることで憂さを晴らすようになっていく。

 

 

義父を許せるか、というと、まだ難しいけど、もう今更どうにもならない人が、私の悪口を言うことで、多少気が晴れてるなら、もういっそ、徳を積んでると考えようか、などと思ってみる昨今。

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夫を選んで命拾いしたな、という話

モラハラという言葉を意識してみたら、実の父もかなりモラハラ発言の多い人だったと気が付いた。

 

モラハラ親を持つと、パートナーにも同じような人を選ぶ可能性が高くなるらしい(これはDVでもそうだし、女性は母親のしていることを学習する場合が多いらしい)

そう思うと、私が夫を選んだことは奇跡に思えてくる。

人生を変えたいと強く願って決断した結婚でまた父に似た人を選ぶとか、どんな地獄だ。

まあ、私は見事にモラハラ義父にハマったから、全く根本改善が出来てなかったのだろうけど。

とはいえ、モラハラ夫と二人で暮らしていたら、とか思うと、ぞっとする。本当に世をはかなんでいたかもしれない。

いや、この5年ほども、とんでもなくつらかったが。

 

 

モラハラ加害者は、精神的に被害者に依存している。

依存されることに慣れている人は、依存してくる人といる方が居心地がいいらしい。

私の夫は、間違いなく自立している。自分の機嫌は自分でとり、一時的に愚痴を言うことはあれど、いつまでもズルズル引きずって、人に迷惑をかけるようなことは皆無といっていい。

私は、父のようなタイプが標準だと思っていたので、夫にたいしても、最初は機嫌を取ろうとした。頼るのは申し訳ないとひたすら頑張った。

しかし、産後に一人で子供をみるのはどうしても無理で、「〇〇しようか」と提案してくれる夫に甘えるしかなくなった。次第に、こちらから頼むことも必要になった。

「良いよ。大丈夫」と、夫はいつも二つ返事で受けてくれる。

私は不思議で仕方なかった。

父を基準にしていると、頼み事は恩を着せられるもの。「こんなことも一人でできないのか」とけなされることも覚悟しなくてはならないもの。

なのに、夫はそういったことを一度も口にしなかった。

数年間、夫の反応にビクビクしていた私も、やがて「この人に頼んでも、私は傷つかない」と思えるようになり、少しずついろんなことを頼めるようになった。

それでもまだ、「こんなに頼ってばかりで、この人がいなくなったら、私は生きていけないんじゃないか」と思うことがある。

普通に育ってきた人なら、現在の関係は、「お互いに助け合っている」とだけ思うのだろうけど。

 

 

ここまで考えて、もしかしたら、この世界には、いちいち恩を着せたり、他人のやることにいちいちケチをつけるような人の方が、ごく少数の困った人たちだけなのかもしれない、などということに今更気づいた。

そうすると、すべての人に平等に接してきた私の対応は、すごく危ないものだったんじゃないだろうか。

私は長いこと、自分の感覚を否定してきた。父から求められた「正しい」人であるためには、そんな基準は邪魔だったからだ。嫌悪感など持てば、やらなければならないことをやりたくなくなってしまう可能性が出てくる。

実際には、感じないようにしていただけで、苦しさはしっかりと私の内側にたまり続けていたのだけれど。

嫌悪感を持たないから、悪意を持った人、依存してくる人、負担になる人に気づかない。一方、相手は、普段構ってもらえないことが多いから、手厚く親身になって接してもらえれば更に求めてくる。私の人生は、そういう人が常にいた。

そのまま結婚していても、何ら不思議はなかったのだ。

 

しかし、婚活中のことを以前の記事に書いたが、私は、夫を選ぶとき、何様と思われるようなことをした。普段の私なら考えられないことだ。

ネット婚活をすると、田舎の30半ばの女性でも結構な数のメッセージが来る。

自分の判断基準を持たない私がプロフィールで選別などできるわけがない。だからといって、選ばないわけにはいかないので、私は、ある本に書いてあった方法をそのままやってみたのだ。

それは、とにかく全員と連絡を取り合い、相手から「会いたい」と言われれば会う。ただし、その過程で、これをずっとされたら困るな、というようなことがあった人をどんどん切っていく、というもの。

そして、残った夫は、私にとって、なんの不満もなく、楽に一緒にいることができ、依存ではない助け合いの関係を築くことができる人だった。

「自分の気持ちに嘘をつかない」というのは、引き寄せで必ず言われることだが、自然に私はそれをやれていたのではないか。

 

 

昨日なんて、年末一挙放送で録画した鬼滅の刃を見ながらのんびりしていたが、その際にちょこちょこと直した服のお礼に、私が食べたいと言っていたローソンのゴディバ監修のスイーツを買ってきてくれた。

まさに、「自分を満たしたら、他人も自分を満たしてくれる」である。

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これは実物ではないですが

 

どうやらモラハラを受けていたらしい

先日、義父が「アイツ(私のこと)はいつになったら働きに出るんだ」と、義母に言っている場面に遭遇。

冬場家にいて、私が目障りで仕方ないのもわかる。私は夫ともきちんと話して、もう少し心を整えて、やりたいことを見つけてから出たいと伝えて了承をもらっているから何も恥じることはない。

仮に、その言葉を真に受けて仕事に出たところで、今度は「小さい子供がいるのに、仕事に出て」とかなんとか、またケチをつけることもわかっている。あの人には、ポリシーなどなく、私を悪く言うことが目的なのだから。

 

つまり、一つも気にする要素などない言葉なのだと、理屈ではわかる。それなのに、苦しい。何度も思い出して、楽しいはずのときすら楽しめない。

前回のカウンセリングを受ける前に戻ってしまったように、毎日、チクチクと心が痛んで、義父への怒りが止まらない。そして、「どうして私はこんな目に遭うんだろう」「せっかく、心を整えて、いいことをみようとしても、こんな風に足を引っ張られるんじゃ、うまくなんかいく訳ない」という被害者意識全開になった。

あまりにつらくて、思わず、カウンセリングの先生にメールを書いたほどだ。

 

そんなとき、たまたま出かけた本屋で、「あの人からの攻撃がなくなる本」というタイトルを見かけた。

パラパラ読んでみると、かつての私のような状況の人に、相手からの攻撃を薄れさせていく方法が書かれていた。ただし、できるだけ時間をかけて、相手に気づかれないようにやっていく必要があり、突然無視を始めた私ではもうこの方法は使えない。

がっかりしたが、他にもこんな状況の人がいるものなんだなーと著者のプロフィールを見てみたら、モラハラの被害者にアドバイスをされている方と判明。

これ、モラハラなの?!と早速、モラハラについてのわかりやすい本を探して読んでみた。

 

私、モラハラ被害者でした。

 

 

私の読んだ本は、谷本惠美さんの「カウンセラーが語るモラルハラスメント」という本。モラハラ被害者のカウンセリングを行っている著者が、今現在被害に遭われている方に向けて、モラハラ加害者の特徴と対処法(といっても、モラハラ加害者が変わる可能性はとても低く、それを踏まえた上でどうするべきか、被害者が自分で決めるしかないという結論でしたが)について書かれたもの。

 

私は、義父と関わってきた中で、幼稚・自分勝手・向上心がない・家族に気持ちや都合があると考えていない・自分の非を認めない・外面だけは良い・矛盾だらけの悪口で他人を貶める・自分のしていることは過大評価し、家族のそれは認めない、といった特徴を感じてきたが、それがすべて当てはまる。

義父はあまり頭が回らないので、私に叱責されれば、逃げて陰で悪口を言うことしかできないが、実際には、頭が切れ、社会的地位も高い人にもそういう人はいて、「俺の方が傷ついている」とか「お前の方がモラハラだ」などと言って罪悪感を煽ったり、不機嫌を演出して、被害者が困るのを面白がる、といった場合もあるという。とんでもない地獄だ。

 

また、普通の人であっても、他人のせいにしたり八つ当たりしたりすることはあるので、されている一つ一つだけ見ていくと、「私が悪くとらえているのだろうか」「こんな些細なことで傷つく私が悪いのだろうか」と思いがちで、最初のうちは、されてる方もあまり重くとらえない。また、内容はざっくりと心を刺してくるレベルの侮辱なのに、笑いながら言われるので、冗談なのかと思ったりする。

これもまさにそうで、私も最初は、実家の母にすら、自分のされたことを説明できなかった。言っても、頭の古い年寄りだから仕方ないよー、で片付けられそうな気がして、ただ、「ひどいことをされた」と連呼するしかなかった。母は、育児ノイローゼと思っていたらしい。

ただ、心は正直で、2か月ほどで、子供と二人きりになると(気が緩むのだと思う)理由のわからない涙が止まらなくなり、何がどうと説明できないのに心がつらくてたまらず、4、5か月経つと、義父がとにかく憎らしくて、「池にでも落ちて帰ってこなければいいのに」と思うようになった。そして、思ったことに激しく自己嫌悪した。

 

モラハラ加害者の大きな特徴は2つ。被害者のことを道具としか思っていない。そして、傷つけることを執拗に繰り返す。考えるまでもなく、両方ともクリアしていた。

 

 

モラハラと知ったことで、やはりあの状態は異常だった、私が苦しいのは当然だったんだ、と理解でき、実は我慢できたのでは、という罪悪感を払しょくできた。

また、他人にも説明しやすくなった。「モラハラ」という単語を出せば、意味は分からないまでも、正常な関係でないことくらいはイメージできるだろうし、ちょっと調べてもらうだけで、私がされたことを一から十まで説明しなくてもいい。

今更、掘り返す必要はないが、自分が気持ちの上で楽になれるヒントをもらえたと思う。

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参考になった育児書

最近、とても参考になった育児書について書こうと思う。

 

まずは、自己肯定感などの本を何冊か読んだことがある水島広子先生の子育て本「怒らないですむ子育て」

タイトルからアンガーマネジメントや言葉かけ関連かな、と思ったが、子育てへの考え方がとても心に響いた。

 

特に、「信頼の子育て」という言葉は、言葉を読んだだけで涙があふれた。信頼の子育ての逆は、「不安の子育て」。常に足りないものを探して、心配し続ける。私の親はこちらの育て方だった。自分が挑戦したいと思ったことを否定される度、私はいつも悲しさを抱えてきた。これを読んで、「私は親に信頼されていなかったのだ」と思っていたのだと感じた。

そして、そうやって育てられた私は、子育てとは常に心配が絶えないもので、心配することが愛情だと思っていた。でも、信頼されていないのはとても悲しい。こんな思いは子供にはさせたくない。だから、私は、自分の子供には信頼を持っていこうと思う。

 

子供の何を信頼するのかというと、「無条件の愛」なのだという。無条件の愛の反対は「条件付きの愛」。「良い子でいたら、愛してあげるよ」「良い成績を取らなきゃ、愛してあげない」といったもの。私の親もこうだった。私のように「条件付きの愛」しかもらったことのない人間にとって、子供といる時間は、人生で初めての無条件の愛を受け取れる期間になる、これには目から鱗が落ちた。

私は、子供といる時間は、親、特に母親にとっては果てしない我慢と奉仕を強いられる時間なのだと思っていた。もちろん、未熟な子供を相手にして、親が耐えなければならない場面もあるだろう。けれど、この考え方を知ったとき、巷で言われる綺麗ごとの親子関係からは見えない、子育ての喜びが見えた気がした。

そして、そう思って子供と接して初めて、その全身から、私を求める愛を受け取ることができた。私たち親子は、私の精神状態が悪かったり、体調が悪かったり、タイミングが合わなかったり、うまく伝えられなかったり。そして、お互いを信頼できなくなって、拒否されることが怖くなって、すれ違い続けて、どうしようもなくなっていたけど。

ああ、この子は、本当に私の愛を求めていたんだ、と思った。できる範囲で、何とかしようとし、それでも、苦しくて、さらに怒られることを重ねてしまう。

怒られても怒られても、それを許して、また愛して、母の愛を求める。許されていたのは、私だったんだ、と気づいたとき、さらに涙があふれた。そんなこと、考えたこともなかった。親は子供を叱って正すもの、苦労して矯正し続けるものなのだと示され、育てられてきた私には、全くありえない視点だった。

 

「いつまでも、子供に甘えていてはいけません」と本書には書かれている。自分がイライラして怒りをぶつけたのなら、きちんと謝りましょう。「あなたが悪いから怒ったんじゃない。お母さんはあなたを愛しているよ」その言葉で、子供は人間関係の修復の仕方を学ぶのです。

読んでからも、子供を何度も怒った。何時間も怒りが収まらないこともあった。けれど、私は必ず、その後に、この言葉を言うようにしている。子供との関係が徐々に良くなっているのが確かにわかる。

怒ってしまって、こんな言葉で済ませるのも申し訳ないような気もするけど、「人は完全じゃない。完全じゃなくてもいい」そんなメッセージを子供に送ることができるのなら、不完全な、そして、変わろうとあがく母親も、存在意義はあるのではないかと思ったりする。

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