ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

人生の課題

私の父はとにかく、他人に後ろ指をさされない生き方をしている人だ。でも、そんなこと本当はできない。「後ろ指」なんて、さそうと思えばいくらでもさせるからだ。そんな不可能な目標を掲げた父は、いつも不機嫌で攻撃的で嫌われている。

私は成長するにつれ、そんな父のコピーのようになっていった。父がいつも「そんなの当たり前だ」「そうに決まってる」「そうしないお前はおかしい」と、自分と同じ生き方を強要してきたからだ。そして、30代半ばくらいで人生が行き詰った。頑張っても頑張っても、周囲とうまくいかない。結局、カウンセリングを受け、父から与えられた生き方を修正してもらうことで、どうにか命をつないだ。そんな生き方を70年以上も続けている父はとんでもない忍耐力だと思う。

 

次に行き詰ったのは、結婚して、義父母と同居し、子供が産まれたときだった。義父母は、父とは正反対の、全く他人に関心のない人達だったのだ(義父は自分をよく見せようという気持ちは強いが、創造力や共感性が低いので、結果的に気遣いとは無縁の人間になっている)雑談をしてもほとんど覚えていないし、要望や相談としてきちんと話してもスルーされることもあるレベルだ。私が子供のときから当たり前にしてきた気遣いなど、していることに気づいていたかも怪しい。

勿論、良いところもある。関心がないから、何をしていても自由。私の行動を悪く取ることは全くない。私のような境遇で育った人間でなければ、気楽でいいと思えたかも知れない。

しかし、私は過干渉ともいえる支配を受けて来た。もちろん、それは苦しくて仕方なかったのだが、やはりそれにある程度慣れている。無関心は、私に興味がないからだと思え、強い孤独を感じた。また、子供のときからクセになっている細かい気遣いは、それに全く気づいてももらえない環境では、もはや苦しいだけの自己犠牲だった。

 

これまでにも、職場などでうまくいかない人はいた。ただ、私は趣味に没頭できる人間だったので、その場を離れたら、ひたすら楽しいことをして考えた。それでどうにか保ってきたのだ。

しかし、そこに育児が重なった。とにかく、時間がない。趣味どころか、寝る時間すらない。そこに、以前に書いた決められないことと自己否定が重なる。

とうとう、私は「後ろ指をさされない生き方」を手放した。

 

この家に来てから、本当に嫌な思いをたくさんした。引き寄せは、良い気分でいることが大事だという。何で、こんなに嫌なヤツがいる家で、良い気分でいなきゃいけないんだ、独身の一人暮らしのときだったら簡単にできたのに、と思ったりもする。

けれど、そのときの読書量は少なくはなかったけど、自己啓発書なんて全く読んだことはなかった。必要がなかったのだ。なぜなら、我慢すれば乗り切れたから。

父とは正反対の義父母に育児という難題が重なって、初めて私は我慢をやめた。

 

私だけ休んではいけない、なるべく子供と会わせてやらなくては、なるべく子供は一人で見なくては、笑ってなくては、イライラしてはいけない、少しでも家事をしないと、常に感謝をしないと、実家に戻ってはいけない、嫌なことを言われても笑って、邪魔されても強く出ることもできないという、自分をつらくするだけの気遣い。

悩みや相談を聞いてもらえない、勝手なことばかりする(おそらく、話すことが苦手なので、きちんとした応答ができず、何かしてくれるとしても説明抜きでするので、突然頼んでもいないことをされていつも困っていた)人(義母)との付き合い方。

思い付きで勝手なことを言う(義父)のを、他人の意見だと切り離して考えることが出来ず、真剣に聞いて(やらなければと思って)怒りを感じる。

そして、我慢をやめたが、今度は、家族と仲良く、他人に嫌な思いをさせてはいけない、誰もはみ出さないように気遣わなくては、といった考えがわき、義父と関わらないことに対する罪悪感になった(これは今でもある。罪悪感が強すぎて、義父の存在を感じる度に苦しくなり、つらさが義父に向いて激しい悪口になる)

 

この家は、私の課題だらけだった。

スピリチュアルでよく言われるが、大きな存在が、いつまでも我慢で乗り切ってしまう私に、これでもかこれでもかと問題を起こし続け、とどめに正反対の義父母と育児をぶつけてきたようだと思う。

悪いことばかり言っているようだが、この家の無関心さは、ここまで相手のことを考えなくても生きられるんだという驚きもあったし、義母のポジティブさは、実家の誰も持ち合わせていないもので、こんな風にしていても良いんだなというのもあった(ただ、自分が悩まないから貴方もこんなことで悩まないで、は本気でつらいときにやられると相手を傷つけるというのも知った)

この家そのものが、私の人生に用意された最大の課題だったように思えるのだ。