ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

今の課題

義父母について色々書いてきたが、二人が共存不可能な宇宙人というよりは(まあ、義父は相当だが)、私の育ってきた環境に対してあまりにも対極の存在だった、という方が正しいのだろう。

私の父は、とにかく誰からも後ろ指をさされない生き方を自分に課して、それを家族にも強要する人だった。一度は父の生き方をコピーしてそれをやめた私には「これ、絶対やりたくてやってるんじゃないだろうな」という習慣や、反感を買うだけの行動に周囲を巻き込んで、ストレスからキレたり、飲酒で迷惑をかけたりしている。

その環境に最適化した私は、周囲の人の感情に敏感で、常に周りに気を使い、自分の感情に蓋をして義務をこなすだけの人生を生きてきた。

 

そんな私にとって嫁ぎ先の義父母は、驚くほど他人に無関心な人達だった。何しろ、「○○に困っている」「××してほしいんですが」と言葉にしても聞かないことがあるほどだ(正直、ここまで行くと困るのだが)

どんなに我慢して気を使っても、それにすら気づかない。私が苦しんでいても全く伝わらず、強い孤独を感じた。言動は無神経なものがかなり多く、いちいち気にしているとあっという間につらくて仕方がなくなった。

勿論、良いこともある。全くといっていいほど干渉されないし、いちいち過剰に反応されたり、悪くとるということがない。私のような環境で育った人でなければ、気楽な嫁ぎ先だったかも知れない。

しかし、私にとっては、あまりにも真逆すぎる環境だった。

 

これだけ言うと、最悪な場所のようだが、考えようによっては、ここまで真逆なところだからこそ、自分の問題点に気づかざるを得なかった、ということもできる。生き方を変えざるを得なかったのだ。

独身の頃から、職場でうまくいかない、ということは何度かあった。今思えば、我慢をして、嫌な話も笑顔で聞く、難しい仕事も愛想よく引き受けてしまう、相手の言葉を真正面から受け止めすぎる、などということをしていたため、耐えられずにキレてしまうことがあった。しかし、私は、これは自分の我慢が足りないからだと考えた。次の機会にはさらに我慢をし続けた。

だが、無関心な人たちと毎日一緒に暮らすことになり、そこに産後・育児という条件が重なったとき、私は自分の問題点に目を向けざるを得なくなった。もはや、「我慢」などでどうにかなるレベルではなかった。

 

我慢をやめる、嫌なこと、できないことには意思表示する。ここで立ちはだかるのは、「他人に不快な思いをさせてはならない」という教えだ。周囲の感情に敏感に生きるのは、父と暮らす上で重要な処世術だったのだが、結果、不快な思いをしている相手の感情をリアルに想像してしまう。私のせいで、などと思うと罪悪感がわき、自分も相手も責めてしまってとてもつらくなる。

相手の言葉を真に受けない、というのも、父の話がどんなに嫌でも、じっと聞いていなくてはならなかった私には、相手を裏切っているようでなかなかできないことだ。「それは相手の考えではない」と流そうとしても、どうしても感情が動いてしまう。実際は流せる人の方が相手に対して寛容でいられるのだが。

淡々と義務をこなすためには、感情はない方が都合がよかった。あまりにもつらいときにはさすがに知覚できたが、それすら私にとっては邪魔だった。なるべく感じないようにしたら、好みや直感で選択することすらできなくなった。今は、それを一つずつ取り戻している。

そして何より、ほとんどの感情・行動に自己否定を行っている、ということに一番驚いた。私にとって、日々を生きることは延々と自己否定を続けることだったのだ。これでは、人生が楽しくなるわけがない。一つひとつの感情を明らかにし、向き合うことで初めてわかったことだった。これも放っておくと繰り返してしまうので、気づいて修正していくしかない。とても地道な作業だし、疲れる。しかも、なかなか成果が見えないので、投げ出してしまいたくなるのもしょっちゅうだ。

それでも、変われるときを信じて、一つひとつ、自分に優しい言葉をかけてやる。許してやる。甘やかす。私が感じること、すること、願うことはすべてそれでいいのだと、他でもない自分自身が認めてあげる。それは、ここまでずっと自分をいじめてきた、私の罪滅ぼしだ。これからは、誰よりも自分を大切にしていこうと決めて。