ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

私の職務履歴

新卒で就職できなかった私は、パソコンの学校へ通い、中途採用で営業事務の仕事に就いた。

昭和の香りの色濃く残る小さな会社は、給料こそ安かったが、事務員同士の仲が良く、とても丁寧に仕事を教えてくれたので、私は社会人の基礎の基礎のほとんどをそこで教えてもらった。改めて思い返すと、ここまで細かく教えてくれた会社はその後はなかったので、その意味では、第一歩としてはよかったのかも知れない。

女性社員特有の仕事、気遣い、周囲との付き合い方などを見せてもらえたお蔭で、その後の一人事務などでもきちんと対応できたし、古い会社の、女性差別、営業の怠慢、親会社との制約など、噂話を通してオープンに色々教わったこともあって、そういったものをちゃんと見ることもできるようになった。

しかし、その会社は入社後5年も経たないうちに廃業することになり、転職しなくてはならなくなった。

 

その後は、派遣会社に登録することになり、契約終了などで、数年単位で転職を繰り返すことになる。

そして、最初は、努力を評価され、楽しく仕事をしていたが、次第に、人間関係に苦しさを感じるようになってくる。

まず、人見知りでうまく話せない、スムーズな人間関係を作ることができないという悩みにぶつかった。休憩時間などに話題が全く浮かばず、いつも沈黙におびえていた。

特に、不愛想な人が苦手で、あいさつしても返事がかえってこなかったり、冷たい言い方だったりすると、私が何かしてしまったかと悩み始め、仕事も手につかなくなる有様だった。

 

また、職場によっては、前任者がきちんと教えてくれないこともあった。地方中小企業の事務員レベルだと、管理職になっていることなどほとんどなく、ただ長くやってるから新しい子の面倒見てね、と新人教育を任されていることも多いので、必ずしも適性のある人が教えている訳ではない。あまりにつらくて退職を希望したら、実は同じ状況でもう何人もやめていた、などという話を聞いたこともある。

ろくな研修を受けていないにも関わらず、顧客から頭ごなしに人格否定を受け、それを言うと「それでもきちんと対応するのがプロだ」と、逆にこちらの弱さをなじられるところもあった。

入社して初日から「給料分働けてるか、毎日頭においてね」などと言われたこともある。

 

こういう職場では、言われたことにいちいち律義に傷つき、やがて耐えられなくなってキレてしまうことすらあった。

一度キレてしまうと、そんなことをした自分が許せなくなり、その苦しさのあまりにそれをさせた相手も許せなくなり、職場にいることがつらくなってくる。

さすがに、キレて「やめてやる!」となったことはなかったが、契約終了が迫っているときにキレてしまい、気まずいまま退職ということは何度かあった。

そして、次の仕事ではさらに気を遣うため、よりキレやすくなる。

どうして、周囲の人はこんな目にあわされても怒らないのか、私は何て気が短いんだろうと悩む日々が続いた。

けれど、逆に周囲は、私のことを、怒りっぽくて扱いにくい、嫌なヤツだと思っていたと思う。

 

その答えは今はわかる。

決して、周囲の人がみんな、菩薩のように心が広いのではない。

相手の意見を「それは他人の考えだから、私には関係ない」と流しているのだ。

それを知ったとき、私は信じられなかった。

子供のころから父の話をどんなに嫌でもじっと聞いて、本気で受け止めてきた私には、相手の話を真に受けない、というのは不誠実にしか感じられなかった。

けれど、一見、酷いと思えるその対応の方が、結果的には、相手に嫌な思いをさせていない。

 

このブログのタイトル「嫌なヤツにも理由がある」というのは、こういった経験からつけた。

私は自分を、「嫌なヤツ」だと思われている自覚があったが、決して好きでそうしていた訳ではない。

むしろ、私自身は、相手と真摯に向き合っていたのだ。

今でも、「相手の考えは、相手の考えとして自由を認める」ということには抵抗を感じる。そこに踏み込んでいくことの方が誠意に感じられ、突き放した冷たい考え方のように感じてしまう。

けれど、やっぱり、踏み込めば「嫌なヤツ」になってしまうのだ。