私にとってお金とは、酷いマイナスになることはないけど、ウィークデーにしっかり働いても生活ギリギリくらいしか稼げなくて、すぐに出て行ってしまうもの。
新卒で就職できず、地方の中小企業の中途採用の事務で安い月給でずっと働いてきたし、これといった取り柄もない。大したものを買ってもいないのに、いつの間にかなくなっているので、貯金もない。ちょっと貯まるかなと思っても、何かしらの理由で出ていく。
正直、あまり直視したくないもののような気がする。
引き寄せの法則についてみていると、お金の思い込みに気づくことが重要だ、というものをよく見かける。
多くは、子供のころからの周囲の言葉や体験、というので、考えてみると、お金を稼ぐのはとても大変で、入ってきてもすぐに出ていく、お金のある人には集まってくるけど、貧乏人はどこまで行っても貧乏人、そんな感じのことをよく言われていた気がする。
じゃあ、そんな思い込みを変えればいいんだ。
と思ってきたのだが。
最近、もっともっと大きな問題に気づいた。
例えば、買い物をしたとき。
私の頭の中では、すべてが無駄遣い。ああ、使ってしまった。私って何てダメなヤツ。
でも、買う以上は、ほとんどが必要なものだし、自分へのご褒美的なものだとしても、それは大切な自分のために使っているもののはず。
おそらく、お金を使うことは幸せなことなのだと思う。なのに、なぜか、私は罪悪感が先行してしまう。どう考えても、このままではうまくいくはずはない。
「使った」より「手に入れた」方に意識を向ける必要があるのだと思う。
それから、ウィンドショッピングをしているとき。
常に、あれ良いなぁ。でも、お金ないから買えないなぁ、と思っている。
確かに、自由に使えるお金は少ない。でも、本当に欲しいと思えば、多分ほとんどのものは買えると思う。他のものを我慢したり、分割で払ったり、場合によっては夫に頼むことだってできる。まあ、そこまでしなくても、1000円のものを見て、「買えない」は多分正しくない。
「買えない」と思ったら、「いやいや、買える。ただ、ものすごく欲しいものじゃないから厳選してるだけ」くらいに言い換えるといいのかも知れない。
私はダメなヤツだ、というのもある。こんな貯金できない姿を知られたら、みんなから呆れられてしまう、という恐れが常にあるのだ。
でも、借金をしている訳でもないのだから、そこまでの劣等感を持つ必要はないはずだ。もちろん、貯金できた方がいいかも知れないけど、日々を充実させるために使えているなら堂々としていいと思う。
仕事探しをしているときも、今思うと、非常に思い込みに左右されていたなぁ、と思う。
例えば、収入の多い求人を見ると、応募する前に「できる訳ない」と思ってしまっていた。できるかできないかは雇用主が決めるもので、ふさわしくないなら相手が断ってくるはずだ。私が自分から却下する必要などはない。
また、「大変かも」というのもある。けれど、ものすごく向いている仕事で、ほとんど時間がかからないかも知れないし、楽しくて拘束されても苦にならないかも知れない。それはやってみなくてはわからない。
それから、父が一度「少人数のところはダメだ。大きいところなら合う人も合わない人もいるが、小さいところだと合わなければ居づらくなる」と言ったことが頭に引っかかっていて、人数の少ないところは受けないようにしていた。けれど、大きいところでも居づらくなる理由なんていくらでもあるのだから、大企業至上の一昔前の考え方だと判断した方がいいだろう。
ここも、惰性で考えると、自己否定で塗り固めたしんどい考え方になっているなと思う。少しずつ修正していきたい。そこに引き寄せがついてきたら、とても素敵だなぁ。