自分の気持ちがわからない私は、進路も常に、父にダメ出しされないことが基準だったし、仕事選びも、周りから見て浮かないことしか考えなかった。信念も自信もないので、就職率が悪い時期だったのも事実だが、今思い返せば、私を採用する会社がなかったのも当然だと思う。
結局、中途採用で入社した小さな会社が5年でつぶれ、以後は、派遣や契約社員を続けた。長期で契約してもほとんどの仕事は数年でなくなり、それ自体は私のせいではないのだが、最終的な人間関係はあまり良いものではなく、いつも自己嫌悪で終わった。
それから紆余曲折があって、私は結婚し子供を産んだ。そして、義父のモラハラを受けた。ここでも、無意識に「良い子」を選択してしまう私は、明らかに虐げられている関係から逃げることができなかった。
だが、産後の私は心身ともに限界を迎えており、毎日泣き続け、義父の死まで願うようになり、ストレスで母乳まで止まるようになってしまったら、もう、義父を避ける以外になかった。
途端に、「怖く」なった。
その時点では、自分の気持ちを正確に把握はできていなかった。
けれど、今ならはっきりわかる。私は「怖くて」しかたなかったのだ。
こんなことするのは、「良い子」じゃない。
「良い子なら、怖いことは起きない」。それはつまり、「良い子にしなければ、怖いことが起きる」ということ。
怖くて怖くて、私は無意識に「怒り」を選択した。
「怖い」気持ちがわいたら、「怒り」でそらす。
幸いかどうかはわからないが、義父に怒る要素は山のようにあった。「あいつは私にひどいことをした。許せない!全部、あいつが悪い。私が、こんな人道に外れたことをしなくてはならなくなったのも、全部あいつのせいだ!」
怒っても、怒っても、怒りは底をつかない。当然だ。私は怒ってなんていなかったんだから。
怒っているのに、相手に我慢させていると思うとたまらない気持ちになり、「死ねばいいのに!」とさえ口にしながら、私に気づかないでほしいと願って自分の気配を消そうとする。
自宅にいるときは気の休まるときはなく、気を抜くと、怖くて怖くて仕方ないから、ひたすら怒り続けた。
常に、私と一緒にいた娘は、一人で怒り続ける私におびえ、次第に、自分だけの世界を確立していく。娘にもともと、発達の問題があったのかはもうわからない。けれど、私のこの状態が、娘の心に大きな問題を残したのは間違いないと思う。
そのうち、怒り続けることに疲れてきた。何年も何年も、自分のことも子供のことも放置して怒り続け、私はボロボロだった。
1年半前、酔って挑発してきた義父にキレて、3年分の怒りをすべて吐き出したとき、初めて違う感情が見えた。
理解してもらえなかった悲しさ、大切にしてもらえなかったくやしさ、私の痛みを分かってもらえなかったつらさ。一つひとつ、その感情に向き合っていくうちに、一番最後に残ったのは「怖さ」で、私は両手で身体を抱きしめて震えた。親の暴力におびえる小さな子供に戻ったようだった。
今でも正直、「怖さ」はある。
義父の姿を見る度に、反射的に「怒り」が口をついて出て、そこから意識をそらそうとする。
それでも、私は、その奥にある「怖さ」と向き合う。
そして、自分に言い聞かせる。
「私は、父の考えではなくて、自分の気持ちを大切にしていいんだ」「そうしても、怖いことなんて起きないよ」「何かあっても、私はもう大人で、自分の力でなんでも変えられるんだから」
娘が異常なほどに「怖い」と言うのは、もしかしたら、私すら気づいていなかった「怖さ」をずっと共感していたからかもしれない。
ここまですべて消化して、私は今、娘に伝えている。
「大丈夫。怖いことなんて起きないよ。お母さんも、お前も、これから、今までの分までたくさんたくさん笑おうね」
娘がこれからどうなるのか、正直わからない。私のしてきたことが子供の人生を台無しにしたのかもしれない。けれど、私自身も、ここに書いたように、これまでは本当にどうすることもできなかった。
とにかく、今日一日を子供と笑顔で過ごす。その先に、1年後、そして、その先がある。そうやって、生きていこうと決めている。
よく、発達障害の子供を変えてはいけない、という話を聞くが、私は数少ない、発達障害の親に過度に適応させられた人間ではないかと思う。
父は毎日同じ時間に同じことをすることを好み、家の中に絶対的なルールを作って、例外を許さなかった。
私は父に怒られないため、そのまねをしたのだが、正直、やりたくないこともあったし、始めたことに興が乗って一日中続けてしまうこともあった。そして、大人になっても、そんな自分をいつも責めていた。
今、ようやく私は、そんな自分を一つひとつ取り戻している。朝起きてから、やりたいこと、食べたいことを考えて、それを実行する。時間割やルールではなくて、自分の心に従って生きる。
それが心地いい私は、多分、父とは全く異なる人間だったのだ。