ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

就職活動のこと

私は地元国立大の農学部に進学した。この頃になると、子供の頃に比べて「正しい」人間でいる基準はどんどんあやふやになっていった。

私の卒論の担当教官は、就職活動で研究室を休むことに反対で、休みを申請すると露骨に嫌な顔をした。とはいえ、まともな判断力のある学生なら、だからといって言うなりにはならないだろう。

けれど、私は、子供のときから、先生は私のためになることを言うもの、先生には従わないといけない、といった思い込みがあり、逆らうことに苦痛を感じた。当時の就職難の中で就職活動を頑張り続けるのがつらかったのもあり、次第に行かなくなっていった。

結局、私は新卒で就職することができず、ずっと、時代のせい、担当教官のせいだと思ってきた。

 

けれど、今振り返ると、自分が面接官として、あのときの私を見たら、絶対に採用しなかっただろうなと思う。当時の私は、常に周囲を見ながら真似していただけだったので、いつも自信がなく何をしたらいいのか、さっぱりわからなかった。

「御社に入社したいです」と言いながら、就職なんて全くしたくなかったし、社会人になって環境が変わるということも怖くて仕方がなかった。自分で判断して選べないから、今から受ける会社を選択するのが正しいのかもまるでわからなかった。

常に父に選択をコントロールされ、その結果、自分で考えることを放棄していた私には、決断する経験が圧倒的に足りなかったのだと思う。結果、自分という軸が全くなく、その時点での自分にも、自分が決めたことにも全く自信が持てなかった。

 

「選択」というのは、別に人生を左右するような大きなことをすることだけを指す訳ではない。例えば、朝、目が覚めたとき起きるか二度寝するか、何を身につけるか、食べるか、出かけるか家で過ごすか。そんな小さなことを毎日、一つひとつ選んで、自分を形作っていく。

それを、私は時間割のようなものを作って、義務としてこなすことでやり過ごした。しかも、その中には、誰かにやった方がいいと言われただけの、自分では全く価値を見出せないものも少なからず入っていた。

 

もし、学生時代の自由な時間に、義務ではなく、ちゃんと自分のやりたいことをやっていたらどうなっていただろう、ということをたまに考える。

運動部になど所属せず、図書館に入り浸って、興味のある本を片端から読む生活。そして、頭に浮かぶ書きたいものをひたすら書き出していく日々。

作家をはじめとする、本に関することを生業とすることは難しいかも知れないけど、少なくとも、自分の軸は次第に形作られていったのではないかと思う。

読みふけった知識は自信になり、本気で出力した経験は、言葉に重みを乗せていったのではないだろうか。

 

今、家族もいて、子供の面倒を見なくてはならない生活の中では難しいが、少しずつ、好きなことをする時間と、一日の中で決めることを増やすことを始めている。

1日5分でもいいから、小説を読むことを再開して、改めて自分が本が好きなのだと思った。たった5分でも、小説の世界に入り込み、泣いたり笑ったりして戻ってくることが出来る。そして、1日の中でふとその時間を思い出して、笑顔になったりする。

今からでも、そんな時間を取り返していきたいと思う。