ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

どん底の時代

職場で人間関係の悩みを持ち始めたころ、父の緑内障視野狭窄が、日常生活に支障をきたすレベルになってきた。

常に「正しい」ことを行っている父には、やらなくてはならない(と思い込んでいる)ことがあり、それを諦めることができない。例えば、役所から送られてきた書類・契約書・取り扱い説明書に隅々まで目を通す、家の維持、決まった曜日に親戚の家に足を運ぶ、などである。

自分でできない、となれば、頼るのは母ということになる。

当時、母はまだ定年前で仕事もしており、家事のほとんどを行い、加齢による体力の衰えと更年期も重なっていた。そこに、父の妥協しない「正しい」ノルマである。

もともと、父は(母に対しては特に)威圧的で、バカにしたり怒鳴ったりするため、あっという間にキャパオーバーを起こした母と、毎日けんかになった。

そして、父は、子供のときからいつもしてきたように、私のところに電話をかけては母の悪口を言ってくるようになった。

 

就職すると同時に家を出ていた私は、それで父と縁を切ったつもりになっていた。

けれど、考えてみれば、何か言われるのが嫌だからと必ず盆正月には帰省していたし、電話がかかってくれば、嫌でたまらなくても無視することはできなかった。

職場で悩みがあって、あなたの話には付き合っていられない、と言ってみたのだが、今度は、お前を心配していた、という前置きでかけてきて、決して私ができないようなアドバイスをして、無理だと言えば「お前はおかしい」とののしられ、そこから自分の話が始まるというありさまで、仕事中にまでかけてくることもしょっちゅうだった。

数日おきにかかってくる電話が苦痛でたまらず、とうとう私は実家に戻ることを決めた。

しかし、戻った途端、私は毎日家に帰る度に「もう生きていたくない」と思うようになった。いまだに理由はよくわからないのだが、おそらく、ずっと人生の目標だった「家を出る」ことが無効になってしまい振り出しに戻ってしまったような無力感と、父を嫌悪する気持ちをあってはならないものとしていたことが原因ではないかと思っている。

 

ただ、そのつらさを理解してくれる人は誰もいなかった。

あまりの苦しさに、聞いてくれそうな人に相談を持ち掛けるのだが、結局帰ってきたってことはそうしたかったんでしょ、またまたー、不幸ぶっちゃってー、といったような反応が返ってくるのだ。これには、私の方が戸惑った。

確かに、仕事もある、身体も健康、親も健在(介護が必要なほどではない)、家もある、この状態だけ見れば、何がそこまでつらいのかよくわからない、のかもしれない。しかし、私の中には、抑えるのがやっとなほどの死への衝動があるのだ。

おそらく、ほとんどの人は、そこまで実家に戻るのが嫌なら、親には従わない。そもそも前提が違うのだが、当時はそれすらわからなかった。

 

それから私は本を読んだ。身近な人にアドバイスを求めることができないのならば、それ以外の方法で答えを探すしかない。悩みに関連したジャンルの本を片端から読んでいくうちに、ほとんどの本に同じことが書いてあることに気づいた。

「幼少期の周囲の人間、特に親との関係の中で作られた思い込み」

それを上書き、あるいは癒す方法まで記載されていることもあったが、「思い出し、感情を解放する」などといっても、当時の私にはまるで理解できなかった。

「一人で難しければ専門家に相談するべき」と本は続く。

そこで私は「カウンセリング」というものがこういうときに頼るものだということを知った。

母に相談すると、本当にありがたいことに、一つも反対しなかった。

「お前は、小さいときからああいう父を持って、他人とは違う苦労を散々してきたと思う。それで今つらい思いをしているのかも知れない。お前がいいと思うなら行ってみるのもいいかもしれない」

自分で決断できなかった私は、その同意のおかげで一歩踏み出すことができた。

そして、私はあるカウンセリングルームに足を踏み入れることになった。