ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

友達について

小さい頃から、「友達はたくさんいないとダメだ」と怒られることが多かった。

私は、子供の頃から本が大好きで、お話を考えるのが好きで、一人遊びばかりしている子供だった。

特定の従姉など、何故だか凄く好きだと感じる相手はいたけれど、基本的に、自分から友達と遊びたいと思ったことはあまりない。

自分の世界が充実していたのだと思う。

 

しかし、そんな私の様子は、親にとって不安に映ったようだ。

どちらかといえば、恥ずかしがりやで、なかなか輪に入っていけないことをよく注意され、明るくハキハキと、誰とでも仲良くすることの大切さを説かれた。

そして、それは大人になるにつれだんだんと、うまく話せない、すぐに打ち解けられないといった悩みに変わっていった。

話せない、と思えば思うほど、自分を責めて悩むから、一層気楽に話ができなくなっていく。

私は友達がいない、できない、といつもコンプレックスを抱えていた。

 

 そのくせ、自然とできる友達に対しては、あまりいい感情を持たないことが多かった。

 もともと自分があまり好きではなかったので、何で私なんかといたがるんだろう、という不信感に近いものがあった気がする。

「私なんかといる人が大した人のはずはない」といった思いもあったのか、近づいてくる友達を軽んじるような発言をしたことも多々あるし、せっかく私のことに興味を持ってくれたのに、追い払うようなことをしたこともあった。

それでいて、いつも遠くにいる人と仲良くなりたい、私の周りに大した人はいないなどと思っていた。

本当に嫌なヤツだったと思うし、こんな人間と今でも友達でいてくれる人たちには感謝しかない。

 

私の娘も、まだ4歳とはいえ、とても社交的とは言い難い。

家の人以外に対しては、じっと無表情で顔を凝視しているようなタイプだし、保育園にもなかなかなじめないようだ。

当然、母は心配する。

でも、そんな子供のことを考えているうちに、初めて気づいた。

友達がいないいないと言っていた私も、振り返ってみると、時代時代に何人かの友達がいたのだと。

そして、その子たちはみんな、「友達を作ろう」「何か面白いことを言わなきゃ」「喜んでもらわなきゃ」なんて考えるまでもなく、素の私自身、私の気負わない話、私の書いたものを好きだと言ってくれる人たちだった。

なので私は、母にはこう言った。

「多分、友達は作るものじゃない気がする。普通にしていて、毎日楽しんでいたら、自然と近くに来てくれる人がいつの間にかなるものなんじゃないかなぁ」

 

大学時代、ある友達が恋愛の悩みを打ち明けてくれたことがあった。

恋愛経験ゼロの私にアドバイスなどできるわけもなく、聞いているのが申し訳ないばかりだった。

なのに、帰り際、ぽつんと彼女は言った。

「聞いてくれて、ありがとう。私のしたことを否定しない人に聞いてほしかったんだ」

当時は、全く意味がわからなかった。話せれば誰でもよかったのかな、と思ったくらいだ。

私自身が承認されていたのだと気付いたのは随分後になってからだった。

私の周りは、割と個性的というか、色々な分野の知識が豊富で、面白い考えを語れるタイプの子が多かったように思う。

その中で、私はいつも、物を知らない、つまらないヤツだと自分を卑下していた。

けれど、悩んでいた彼女が求めたのは、大したことが言えないからこそ、そうなんだ、大変だね、と黙ってひたすら頷いている人間だったのだ。

世の中って、何が必要とされるか、全くわからない。

自分が最悪の短所だと思っているところを、実は誰かがものすごく評価しているかも知れないのだから。

 

「面白いことを言わなくては」と思うあまり、冗談にしてもひどすぎる発言を繰り返していたこともある。

今では、土下座したいほどに申し訳ない記憶だ。

でも、過去は取り返せない。

これからは真摯に向き合おう、伝えよう。面白くなくていい。相手の言葉をきちんと聞いて共感して、素直で飾らない真っ直ぐな気持ちを表そう。

私の友達になってくれた子たちは、そういうところを好きになってくれたのだと思うから。