現在私が住んでいる家は、築40年。
壁は砂壁で触るとぽろぽろ落ちてくるし、時々ネズミの足音も聞こえる。2回を歩くとギイギイいうところもあって、4歳の子供がぴょんぴょん跳ねてると、時々不安になるレベル。
おまけに、義父母がとてもずぼらなので、使わないものがわんさとそこらにあるし、壊れても直さない、買い替えない、そこらじゅうほこりだらけ、黒カビだらけ、障子は穴だらけ。なかなかにひどい。
私が来る数年前までトイレには草が生えていたらしく、姪が入りたがらなくなったので、トイレ、風呂、台所はリフォームしたらしい。
でも、草の生えてるトイレ見たら、さすがに同居を断ってた可能性もあるから、その方がよかったのかも、などと思ったりもする。
住み始めた当初は、まあ、私の人生ならこんなものかな、と思っていた家だったけど、先日書いたように、義父のいじめを受けてからは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の勢いで、「アイツの建てた家なんか大嫌い!こんなボロ家!ああ、出ていきたい!」となった。
モデルルームみたいなデザインで、床暖房完備、ハイテクでおしゃれな新居に住みたい願望はもちろん人並みにありますが、まあ、でも、義父のしたことと家は関係ないよね、と思考を切り離せるようになったのは、子供を保育園に行かせ始めて、内面に意識を向けるようになってからだった。
実は、義父との関係を周りに話すと、「短時間でも家を出た方がいいんじゃない」とみんなが心配してくれたので、その気になって職探しするも、コロナ禍で全く見つからず。
自己嫌悪になりかけたこともあったけど、仕事を始めたらできないことを今のうちにやっておこうと切り替えてみた。
季節は春。義父が田んぼに出るようになり、家中好きに動けるようになって、まず私が始めたのは掃除だった。
心がごちゃごちゃしたら片付けをしろとか、家をきれいにするとお金がたまるなんてことはよく言われるけど、自己肯定感が上がるのは間違いない。
(おそらく)何十年放置されてる汚れを今私がきれいにしてるよー!裸足で歩いても気持ちいい!日に何度も目に入る柱にほこりがついてない!何て、気分が良いんだろう!これやったの、私なんだよね!すごいじゃん、私!
ただ、私は、予定通りにできないとすぐ自己否定が入るので、その辺りは改善が必要なのだが。
そして、面白いことに気が付いた。
これまで私は、時間がないからなんとかローテーションのようにして、家中均等に掃除をしていた。
しかし、それだと1巡するまでに汚れてしまい、掃除をしているのに自己否定するということが起こってしまう。
考えてみれば、私以外の家族は、家が汚いなんてことにはほとんど関心がない。
だったら、私の目に入るところだけ毎日ピカピカにすればいいのだ!
他のところは、まあ、月に1度でもいいだろう。だって、これまでなんて、きっと数年に一度レベルだったのだろうから。
そうすると、私は気分が良いので、掃除をしてるのに誰も気づいてくれない!なんてことにイライラすることもなくなった。
そんなことをしていたら、いつの間にか、家が何だか愛しくなってきた。
雨からも風からも雪からも守ってくれているのはこの家だ。
夜、ゆっくりと眠れる場所。一人でゆっくりとくつろげる場所。大切な家族と笑いあえる場所。それは確かにこの家だ。
確かに、建てた人は嫌いだけど、それを理由に家まで憎んだら、今の生活の根底を否定することになってしまう。
バタバタしてると忘れがちだけど、一日1回でも、ありがとうの気持ちを乗せて、家に気持ちを向けていきたいと今は思っている。