ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

子供が教えてくれたこと

もともと、私は子供が苦手だった。

友達の子供と会ってもどうしたらいいかわからないし、子育てをするより、自分の趣味に没頭している方が楽しいと思っていた。

だから、夫が「子供が欲しい」と言ったとき、嫌だな、と感じた。

だが、幼少時から、父の思い通りにならないと怒られたり、ネチネチと嫌味を言われ続けるという経験を繰り返していた私は、「断ったら、一生、このことで夫に責められるに違いない」と思った。別に、夫を信用していなかったわけではなく、このころは、人はみんな、そういうことをするものだと思い込んでいた。

なので、すんなりと了承した。

この時点で、39歳だったので、まあ、そんなに簡単にはできないだろうと思っていたのもある。

 

ところが、意に反して、結婚後、4か月で妊娠した。

どうして、という思いはあったが、生い立ちの影響もあり、気の進まないことに対して、気持ちをそらして淡々と受け止めることは得意だったので、私はこういう仕事をするんだというような意識で受け止めた。元気な子供を産んで育てることが当面の私の仕事なんだ、といった風に。

心のどこかにある、こんな風にしか思えない自分なんかが親になっていいのだろうか、というザワザワをかすかに感じながら。

 

退院した当日から悩まされたのは、「決められない」ことだった。

授乳のタイミング・量、何を着せるか、いつ寝かせるか、どうやって寝かせるか、窓を開けるどうかか、家で過ごすかどこかに行くか。育児には、山のようにその都度決めることがある。

なのに、上記のように、最終的になんでも父の意図に沿ったことをしなければならなかった私は、かなり小さいころから自分の頭で考えるのをやめていた。

また、アスペルガーである父が、毎日時間割のように日々の生活で行うことを決めていたので、私もそのまねをして、自由時間は事前に決めたとおりに一日を過ごしていた。誰かといるときは、100パーセント相手の希望通りに動き、食事などのようにどうしても決めなければならないことは、本の1ページめから順番に作るとか、左側から買うといったようなルールを設置していた。

そんな私にとって、決断の連続である育児は、それはそれはしんどかった。

 

実家であれば、まだ相談に乗ってくれたのだろうが、嫁ぎ先の家族に聞いても、「そんなこと自分で決めればいいだろう」といった感じで、全く聞く耳を持ってくれなかった。まあ、当然だが。

苦肉の策で、一日のスケジュールを作ってみたりもしたが、0歳児が予定通りに過ごせるわけがない。

どうしたらいいかわからず、生活習慣や遊び方など育児書を読み漁ったが、大体書いてあることは「〇〇の方が望ましいですが、最終的には、ママが楽な方でいいです」「お母さんが一番いいと思う方法を選べばいいですよ」といった記述になっている。

当時、自分の「決められない」ことが問題なのだということ自体、全くわかっていなかったのだが、夫に対してこんな弱音を吐いていたのは覚えている。

「誰かが「こうしなさい」って言ってくれたら、その通りに全部やるのにって思う」

それを受けた夫は「それじゃ、つまらない。俺は自分で決める方がいい」と答えていたが、この会話にすべての答えがあったのだなと思う。

この悩みは、子供が入園して時間ができ、自分と向き合って、一つひとつを決断していく習慣をつけられるようになるまで、私を苦しめた。

 

もう一つつらかったのは、子供がやるべきことを嫌がったときの対応だ。

誰とでも、相手の要望に100パーセント答えることしかしてこなかった私は、他人との交渉経験が圧倒的に足りなかった。

イヤイヤ期に入った子供を前にして、どうすることもできなくなってしまったのだ。

 

ちなみに、私自身は、父の意に反することはすべて怒鳴りつけられるのが常だったので、常に、父の求めることを先読みして動いてきた。

子供が生まれたとき、「私と同じ思いはこの子にさせたくない」というのが、唯一持っていた私の望みだった。

たくさん読んだ育児書の中に、「親のタイミングで何かをさせるのではなく、子供が自分でやるまで待ちましょう」というものがあった。私は、それを素晴らしいと感じた。

けれど、うちの子にそれは合わなかった。私が義父のモラハラのせいで情緒不安定だったせいか、発達障害があったのかはわからないが、うちの子は「〇〇しよう」と言ってどんなに待っても、ニヤニヤしているだけで絶対にやらなかったのだ。

結局、私は父と同じことしかできなかった。怒鳴って無理やりやらせたのだ。

 

今では、手を引いて導きながら、根気よく「やろうね」と何度も説得できる(実は、これをするだけでも、カウンセリングが必要だったのだが)だが、そんなことをしてもらったことのない私には、それすら思いつかなかった。

そして、おそらく、待ったことは子供にとってあまりよくなかったのではないかと思っている。今でも、娘は、相手に期待されていること(返事や課題をやることなど)をプレッシャーのように感じるようで、そこから逃げ出そうとすることが多い。

さんざんプレッシャーを与えられた上に怒鳴られるような経験を繰り返すなら、強引に抱き上げる、手を引くなどされた方がマシだったのではないかと思う。

多分、自分の頭で考えられる人なら、あまりよくないと感じた時点で、方向転換するだろう。けれど、私は、育児書に書いてあったから、と頑なにこのやり方にこだわり続け、何年もこうして関わってしまった。

 

もう少し、自分に欠けていたものと、そこから学んだことを次に書きたいと思う。

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