ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

夫のこと

婚活のときに読んだ本で参考にした助言がある。

「男性の癖は一生治らない。結婚したら治してくれる、などと思わず、それと一生付き合えるが考えなさい。無理なら、その男は止めなさい」というもの。

婚活サイトに登録したら、何人もの男性からメールをいただいた。地方でも、1回のやり取りを含めば、2,30人はいたかも知れない。当時、私は自己肯定感がとても低く、こんな私が男性を選ぶなんて申し訳なくてとてもできなかった。というか、正直、プロフィールを見てもさっぱりわからない。一般的には顔とか年収とか趣味を見るのか?でも、好みの顔とか別にない。若い子とか、年収が高い人とか、そこそこ顔が良い人を見ると、こんな私をだましてるんじゃないか、とか思えてくる。

そこで私は、明らかに怪しい人以外は、全員返信してみた。すると、やっぱり色々ある。電話はしたくないと言ってるのに電話番号教えろとしつこい人、何ですぐ返信しないんだと文句を言ってくる人、逆に、会う約束した前日の夜中まで何時に会うかの返信をよこさない人、初対面で車には乗りたくないって言ってるのに、どっかに遊びに行こうとしつこい人、こないだ書いたメールに書いたことを見事にスルーしてまた同じ質問してくる人。すべてお断りしました。

特に、文章力ない人は本当にダメで、もうイライラしてくる。多分、会って話すと良い人なんだろうな、と思うんだけど、遠距離だとメールでのやり取りが多いだろうし、その度にイライラするの、ホント無理!と思ってお断りしました。相手もまさか、国語力がなかったせいで振られてたとは思うまい…。

 

 

そこいくと、夫は本当に100点のメールを送ってくる人だった。全く過不足がない。ちゃんと聞きたいことに答えてあって、次の話も振ってある。会う約束のときも、「ここがわからないじゃん!」みたいなの一つもなかった。母に言うと、「何それ、好きでもなんでもないじゃん」とか言われるけど、大事ですよ。イライラしないの。話してみても、やっぱり合うと感じる。感覚的なことをずっと殺して生きてきたけど、そこはちゃんと選べたんだなと当時の自分をほめてやりたい。

実際、結婚しても、子供の世話をしているときとか、じっと観察して、必要なことを先回りしてくれるし、この面倒臭い私の、このブログに書いてるようなあれこれもずっと聞いてくれた。

産後、子供が全く寝なくて、「私はダメな母親だ」って落ち込んでたら、「病気もしてないし、体重も増えてるし、何の問題があるの?」と言われたのは衝撃だった。目からうろこが落ちた。それまで、マイナスばかり探す実家にいた私には、「え?え?!それでいいの?!」と呆然とした。そんな考え方もあるのか、と少し楽になったのを今でも覚えている。

 

最近、母の本棚にあった「自分を嫌うな」という本を借りて来た。この手の本は、自己啓発書棚にいくらでもあるけど、この本の発行は95年。当時は珍しかったのではないだろうか。男性向けに書かれているようで文章は少し硬い。が、読みにくいほどではない。

私は、この本では八方美人に当てはまるな、と思った。親子間に強い支配関係があると、子供は親の望みをかぎ分ける能力に長けるようになる。でも、そうして自分を主張しないでいると、人間関係がうまくいかなくなる。他人は、親のようにはあなたに期待していない、ということを知ろう、とある。

また、負い目のある人は、こういう人と付き合うと良い、という話が出てくるのだが、「情緒的に成熟していて、欠点を咎めたり、妙に励ましたりしない人」だそう。これ、まさに夫なんですよね。あの、どちらを見たらいいかわからない状態で、よくちゃんと必要な人を見つけられたな、とすごくほっとした。

 

まあ、正直言うと、ここまで不満のなかった夫にあんなとんでもない両親がいるとは思いもしなかったのだけど、夫だけはこういう存在だったので、どうにかここまで来ましたよ、という話。

3人のゴースト

クリスマスも近くなってきたので、私の3人のゴーストの話。

 

1人目は義理の父。

この人には、嫌いな人は我慢しないで切るということを教えてもらった。

周囲も認めるとんでもない自分勝手な人間。人にやさしくしてもらえば、根こそぎむしり取り、相手の気持ちや都合など考えもしない。自分の優越感と、気分が良いことにしか関心のないこの人に、産後と言う、身体的にも精神的にもボロボロになる時期にかかわったことで、人を憎むほどに嫌うということを生まれて初めて味わった。

でも、きっと、嫌な思いは昔からだってしていたのだと思う。私がその気持ちに蓋をしていただけで。

周囲の協力も十分得られない中で、私はこの人を「切る」という決断をした。

そこで「嫌いだから仕方ない」と割り切れればよかったのだが、私の中には、幼いことから父に教え込まれた「人の嫌がることはしてはいけない」といった教えが出て来た。

そこから4年、私はその気持ちと向き合ってきた。

湧き上がる自己嫌悪は、自分を責め、その原因となった義父を責めた。正直、されたことより、無視しなくてはならない状況を作ったことの方が10倍は憎らしく苦しかった。「この人がまともな人なら、こんな思いをしなくていいのに!」と何百回思ったかわからない。

やがて、たまりたまった怒りを吐き出し、自分の気持ちにひとつずつ整理をつけ、カウンセリングの力も借りてようやく、「あの人や他の人が、私のしていることに対して何を言っても、私自身の価値に変わりはないんだ」という呪文を唱えながら、日々心を落ち着ける、というところまではたどり着いた。

これを教えてくれたのが、一人目のゴースト、ということだ。

 

 

二人目は、4歳の娘。

この子には、世間様に恥ずかしくないように生きることの問題点を教えてもらった。

私の父は、ものすごく世間体を気にする人だった。年がら年中他人の生活のことに首を突っ込んでは、「あんな風になってはいけない、思われてはいけない。だから、ちゃんとしろ」と、幼い私に説教した。祖母もそうだった。正直、いつも苦痛だったし、聞きたくもなかったけど、怒られたり、嫌な顔をされたくなかったので、我慢していた。

時には、子供心にも「これ、完全に自分が気にいらないだけだよね」と思うようなことを、「俺はお前がこういう大人にならないように、教えてやってるんだ」と前置きした。時には、大好きな母の愚痴もあって、そういう時はいつも泣きたいほどにつらかった。でも、嫌がりもせず、じっと座って聞いていた。

やがて私は、「誰が見ても恥ずかしくない生き方をしなければならない」という思い込みを持つようになる。

いつも気を使い、機嫌よく、努力する。笑顔を絶やさず、求められたことはきちんとやり、他人に迷惑をかけない。本当は苦しくて仕方がないその生き方を、それ以外に知らない私は愚直に続けた。

しかし、子供は違った。娘は好奇心旺盛で、何か興味のあるものを見つけると、親の制止など全く耳に入らない子だった。道にしゃがみこんで1時間でも石で遊ぶ、低い塀を見れば登って渡りたがり、川を見れば落ちそうになりながらのぞき込みに行く、そんな子を持って、私はいつもハラハラした。「あの母親、あんなことさせてるよ」と言われているのではないか、と。

しかし、何度止めても、引っ張っても言うことを聞かない子供を見ているうちにだんだん思ってくる。「別に、これくらいやってもいいんじゃね?」

花壇を荒らすのは悪い。絶対に止める。でも、花壇の縁で平均台してるのはどうだろう?しないでくれるならしないで欲しい。でも、やりたいんだよね。それを引きずってでも止める必要なんてあるんだろうか?そもそも、ここ田舎だから、誰も見てないときもある。人目ってそこまで重要?それより、私は子供がしたいことをさせてやりたかった。

怒鳴られたこともある。頭下げて、それこそ、子供を引っ張って退散した。どこかで、眉を顰めてる人もいたかも知れない。でも、私の親だって、「それくらい、良いじゃない。お前はいつもかたい。子供なんてそんなもんだ」って言ってみたり、「そんなことさせるな。だから、わがままになる」って言ったり。SNSとか見てると、「こんな母親ありえねぇ!」って言われてたかと思えば、道を塞がれたおばあちゃんが「子供なんだからいいのよぉ。本当にかわいいわねぇ」って言ってたりする。

何が良くて何が悪いのか、正直、全然わからない!!!!

でも、きっとそれが答えなんだと思う。父と祖母に植え付けられた価値観で生きて来た私は、そこを疑ったことは全くなかった。身一つなら、盲目的に迷惑をかけないように生きればいいだけだったから。それがどんなに息がつまりそうに苦しくても、自己嫌悪に苛まれるよりはマシだった。

でも、当たり前だけど、子供はその価値観に合わせてはくれない。自然、私はそこを考えることになり、気づく。なんだ、絶対の基準なんてないんじゃない。だったら、ビクビクして、評価におびえて、やらなくてもいい気遣いして疲れ果てることなんてないよね、と。

これが二人目のゴースト。

 

そして、三人目のゴーストは義母である。

先程も書いたような暗黙の気遣いに満ちていた実家とは違い、嫁ぎ先は驚くほどシンプルだった。先のことなんか考えない、他人への気遣いなんてしない、みっともないとか思わない、とか書くと酷いけど、実家が気にしすぎなら、こちらはかなり気にしなさすぎな家であった。

義母の思い付きの行動・無神経な発言・ろくに話を聞いてくれないところなどはかなり私をイライラさせた。と思っていたのだが、実は私、イライラする自分にイライラしていただけだったことが後に分かった。

さいころから、機嫌の悪い顔をすると父に怒られたので、怒りという感情に強い抵抗を持っていたらしい。義母にはいいところもたくさんあり、たくさん助けてももらっているのだが、それが逆に「こんなに世話になっている人に、こんな感情を持つなんて!」という風に、より強い自己否定につながったようだ。

最近は「無神経なことを言われたんだから、怒っていいよ」「無視されたんだから、不機嫌になっていいよ」「忙しいからいちいちちゃんと返事しなくていいよ」と自分に言い聞かせている。怒った方が(向こうにそれを言ってる訳ではないです)うまくいくなんて、不思議な話だけど、我慢してた頃より、今の方がずっと関係は良い。

三人目のゴーストの気づきは「怒って良い」ということ。

 

この家に来てから、つらいことが山ほどあったし、今だって不安定になることはあるけど、「この人達に会ったから気づけたんだな」と思うことはある。まあ、まだ、「会えてよかった」とか「感謝する」までは無理だけど(正直、義父なんて、いなくなって欲しいくらい嫌いだし)

そして、この3人に会わせてくれたのは夫なのである。こんな、実家と正反対の家にわざわざ来るとかすごい。ずっと「ラクになりたい」と考えてきた、私の引き寄せだったのではないか、とか思ったりする。

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この家について思うこと・続き

義母は、毎日泣いている私に困り果て、実家に戻ることを進めたが、私は嫌がった。まだ実家にいたころ、父が近所の若いママを見ては「あそこの娘は一人娘でわがままだから実家に帰ってばかりいる」というのをいつも聞かされていたからだ。私の中には、父のこういった批判めいた発言すらもすべてインプットされ、それをしないようにすることが自然と身についている。

 

説得され、月に一度ほど帰るようになっていたのだが、子供が産まれて半年経った頃、義父のある発言への怒りで、母乳が止まってしまった。

そのころには、度重なる我慢に、義父が憎らしくてたまらなくなっており、「もう帰ってこなければいいのに」と思うまでになっていた。そして、そんな自分に自己嫌悪を繰り返していた。

しかし、母乳が飲めずに泣く子供を見たことが私の転機のきっかけになった。初めて、自分が我慢していることの意味を考えたのだ。そして、私のこのつらくてたまらない我慢が、大嫌いな義父以外誰も幸せにしていないことに初めて気づいた。

そのまま、朝食の席で「ストレスで母乳が止まった。実家に戻る」と自分から宣言した。それが、私が生まれて初めて、自分の意志で宣言したことだった。

 

 その後、私は義父に要望を伝え、それを聞き入れてもらえなかったとき、彼を切った。しかし、子供のころから、「家族は仲良くしなくてはいけない」「誰かに嫌な思いをさせてはいけない」「人を仲間外れにしてはいけない」という教えが呪いのようにしみついている私には、義父を切り続けていることはすさまじい苦痛だった。

3年ほど、顔を見るだけで怒りが爆発しそうになることが続き、いつも私の顔を見るだけでこそこそ逃げていた義父が酔って挑発してきたのを良い機会に、私は義父をたたき、台所の椅子を振り回し、ふすまをけって穴をあけ、「私がこの子の世話をしているとき、嫌なことと邪魔しかしなかったお前なんか、大嫌いだ!お前が祖父だとか名乗るのを聞いてるだけで腹が立つ!」と怒鳴りつけた。

人生でこんなに人を怒ったのは、生まれて初めてだった。

そして、それを機に、私の怒りはゆっくりと目減りしてきた。

その後、たまたま私の自己嫌悪を指摘してくださった方がおり、子供が入園して時間が出来たのもあり、私はひたすら自分の感情に向き合った。

ゆっくりではあるが、小さな気づきをたくさん重ねて、今に至る。

 

「楽になりたい」

10年前、私はそう望んだ。

でも、自分が普通の人より多くのことをして我慢しているなど、考えもしなかった。

何故なら、ずっとそうするように教えられてきたから。それが当たり前だと思っていたから。

100のことをしている人とだと、私は自分が我慢すればと、淡々と200のことをしてしまう。

しかし、10しかしない人に会って初めて、自分のしている200に気づいた。

また、自分の時間があって、気分転換が出来れば、私はつらさを忘れて麻痺させることが出来た。

子供が産まれ、全く時間が取れない極限状態で「もう無理!」となり、頑張っていたすべてを手放すしかなかったのだ。

 

最初は、何て酷い家なのだろうと思った(干渉されない、細かいことを気にしないといった長所になる一面もあるので、私の相性が悪いだけなのだが)

でも、最近、まるで私を変えるために、私が絶対我慢できない家を日本中から探してきたみたい、と思う。

この家が引き寄せたものなら、もう手放します、でいいのかな、と思う。

別に、今までと何も変わらない。

日々を穏やかに楽しく、心を整える。

自分の心を大切にし、ほっとすることをする。

そうしながら、ゆっくりと手放していこう。

私はここで十分学んだから。

この先の設定は、もうこの家にこだわることはない。

この家について思うこと

最近、今住んでいる嫁ぎ先の家は、自分が引き寄せたのではないかと思う。

 

私の父は「誰からも後ろ指をさされない生き方」とでもいうべきものを目指しているような人間だ。
人の生き方、気遣い、家の中のこと、習慣、先への備え、役所の書類や取説は必ず目を通し、自分でできることは数百円とも惜しんで自分でやるなど、おそらく、他人の2、3倍のことをしている。

家の中にも常に目を光らせており、うっかり物など置いておこうものなら、すぐにどない声が飛んできた。

「人はこう生きるべき」という説教は常にしていたし、家族はもちろん、近所の人のやっていることにもいつも否定的な評価や、足りないことの指摘ばかりしていた。

そして、いつもイライラしている。

母も基本的に心配症で、私の行動に対して、「こうなったら大変」というネガティブなコメントをすることが多かった。

 

そんな家に育った私は、「頑張り屋のいい子」になっていった。

いつも気遣いを忘れず、正しいと評価されることをする。

他人と意見がぶつかれば自分が我慢し、常にまだ頑張りが足りないと自分を責めてひたすら努力。

自分の好みや楽しみなどすべて放棄して、「誰からも文句を言われない」ルーティンをこなすことだけに日々を費やしていた。

 

それなのに、何かうまくいかない。

会社がつぶれたり、契約が終わったりして、仕事が次々変わり、貯金をする余裕もない。

どの職場に行っても、私を困らせてくる人が必ずいて、いつもつらい思いをする。

うまく雑談が出来ず、職場の人の輪に入れない。

そういった悩みを、私は、好きな本やゲームに没頭することでごまかしながら何とか生きてきた。

 

しかし、30代半ばで、うまくいかないことが続いたタイミングがあり、一気に生きることがつらくなった。

「こんなに頑張ってもつらいことばかり。こんな人生があと30年も40年も続くなんて、もう無理だ」

そう感じ、カウンセリングのお世話になった。

私がお願いした先生の手法は、「自分がやめたいと思うことをやめられる」というもので、そのときつらくてしかたなかったことを幾つもやめることができた。

それで、どうにか生き延びた。

けれど、今思えば、私の一番の問題は、普通の人が100やってるところを、200、300とやり、それでも、まだ足りない、私はダメだと自己嫌悪していることだったので、楽になりながらも、どこかに重苦しいものが残っているのを感じていた。

引き寄せの法則を知ったのもこのころだったが、私の設定は常に「楽になりたい」だった。

 

やがて、試行錯誤を繰り返しながら、私が結婚し、同居を始めたこの家こそが、私の人生を根本から変えた。

嫁ぎ先の家は、私の実家とは正反対の家だった。

私のしていることが200なら、義母は50、義父にいたっては10くらいしかしていない。家の中はあちこち壊れても手付かずで、黒カビとほこりにまみれている。使ってないもの、壊れたものは基本放置。こんな状態でも人は生きられるんだ、と衝撃を受けた。ただ、意外にも義父母は結構楽しそうだった。

しかし、私がやっていることにはまったく興味がなく、頼みや悩みを真剣に伝えてもスルーなのには参った。他人のことに首を突っ込むことは余計なことなのだろう。基本、私のしていることには興味がなかった。

勿論、私のしている気遣いには全く気付かず、次から次へと断りもなく、勝手なことをする。

それでも、通常であれば、私はきっと我慢しただろう。それが私の生き方だったからだ。

しかし、子供が産まれたことでそうはいかなくなった。夜は全く眠れず、父から自分で判断することを許されてこなかった私は、些細な子供の世話の1つ1つすら選ぶ力がなく、決めることができない。そこに、ずっと当たり前にし続けてきた自己嫌悪が加わる。子供が3歳くらいまでの育児は、私にとって激しい苦痛以外の何物でもなかった。

何を選ぼうか相談してもスルーされるばかりで何も聞いてもらえず、勝手なことばかりし、義父は毎日私のことをバカだ、駄目だと言い、落ち込みに拍車をかけた。さらに、「文句を言われない」ためだけに凄まじい努力をしている私に、その瞬間の都合だけで文句を言う。それは私の生き方の全否定を意味した。

 

そして、私は半年間、ずっと泣きどおしだった。

何でも「ある」!

引き寄せの法則は、「ある」と思えば「ある」が、「ない」と思えば「ない」が引き寄せられてくる、という。

ある日、ウィンドショッピングをしながら、「ああ、あれも買えない。これも買えない」と焦燥感に似た感情を持っている自分に気づいた。デパートでもなく、リーズナブルなショッピングモール。服なんて数千円のものばかりだ。確かに、専業主婦の私には、値札も見ずに欲しいだけ買う、とかは無理だけど、あれもこれも買えない、というほどでもない。

なるほど、これがお金の思い込みか、と気づいた。「私にはお金がないから、何も買えない」という訳だ。

以後、気づく度に、「あれも買える。これも買える。幸せだなぁ(まあ、欲しいものは厳選するから、実際には買わないんだけど)」と修正するようにしている。たったそれだけで、じわりと胸が温かくなるような気がするから不思議だ。

 

そうして考えてみると、惰性で考えると、「ない」と思っていることがどれだけ多いことか。

子供が小さいから、「私は何もできない」まあ、でも、保育園に行ってる間なら出かけられるし、あらかじめ相談すれば、日帰り旅行くらいなら可能だろう。本当は、どこへだって行けるのだ。

 

それから、時間。私にはどうも、時間をとにかく無駄にしたくない、少しでも多くのことをやりたいという思いがあるらしい。それが、子供のいない日中を過ごしていると、じわじわと顔を出す。「ほら、また無駄にしてる。早くやらなきゃ。ああ、また何もできなかった」

ちなみに、「何もできなかった」って言ってる人は、たいてい、結構きちんと何かをやっている。「休んじゃった」はあるかも知れないが、それだってちゃんと認めてやれば「休んだ」のだ。

 じわじわ焦りが出てきたときは、とにかく小さなことでもやって、「やった」と思うようにしている。

そして、それ以前に、「時間はある」と思うように心がけている。「いっぱいあるよ。だから、たくさんのことができるよ。焦る必要なんか、ないよ」という訳だ。

それに気づくまで、スローライフの人に劣等感を抱くことがよくあった。「時間がない」と思っている限り、のんびり梅酒だの、味噌だの、作っている場合ではない。また、メールやラインを返すのも苦だった。友達とやりとりして楽しいはずなのに、「時間がない。無駄になる」と感じてしまう。結局いつも、だらだらと返信を遅らせた。

 

私は凝り性なのだが、これも、そういうものだと思っているから、マッサージに行ってもしばらくすると凝り始めるのではないだろうか。「身体がラク。すっごく快調!」と思ってたら、徐々にラクになっていくかも知れない。

 

それから、友人関係。実家から遠いため、もともと今住んでいるあたりに、友達はいない。引っ込み思案なため、子育て支援室にそこそこ頑張って通ったが、全く仲のいい人はできなかった。

ママ友付き合いなどはなく、気楽に暮らしているのだが、送り迎えのときに、他のママさんと言葉を交わすことがある。挨拶はきちんとするが、会話が続かない。もともと雑談が苦手なので、うまく出てこないのだ。

そうした失敗体験はどんどん「できない」を強固にし、会話ができないことが怖くて、目も合わせられない、といったことが起こる。

そんな状態だから、他のママさんたちが仲良く話していようものなら、「私はできない。ダメだ」と思い、こんな自分はバカにされているんじゃないか、と言ったようなことさえ思う。

「(家族だけど)話せる人はいる。(遠いけど)友達もいる。大丈夫。できる」と「ある」に意識を向けていきたい。

感情の分離

私は義父が嫌いなのだが、そうすると、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、になってることがあって、気をつけなきゃなぁ、と思う。

例えば、義父の建てた家が嫌い、仲良くしている近所の人が嫌い、義父のずっと生きてきた地域であるこの集落が嫌い、義父の好きな食べ物が嫌い、義父が好んですることなんて全部ダメ!

 

本当に嫌なら良いのだが、そうでないものまで嫌悪感を持っていると、嫌いって感情はとても力を使うので、いつも疲労感を抱えることになる。

 惰性で放置すると全部嫌いになってしまうので、まず思考にストップをかける。本当に嫌い?嫌なことをされた?私が迷惑をこうむっている?そう考えると、本当に嫌なものなんてほとんどない。そこで、「義父は嫌いだけど、〇〇は無関係だよね」と自分に言い聞かせる。

 

反対に、楽しいという気持ちの中にもいつも罪悪感があった。

楽しいことをしているはずなのに、おいしいものを食べているはずなのに、欲しいものを買ったはずなのに、こんなことをしていていいのか、こんな無駄遣いをしていいのか、私ばかり楽しんでいいのか、という気持ちが同時発生する。

結果、心から楽しめず、せっかくお金や時間をかけたのに、かえってストレスをためてしまう。

 

これに気づけたことは大きかった。

こちらも、惰性で放置せず、ちゃんと言い聞かせてやる。「いつも頑張ってるんだから、これくらいしてもいいよ。ちゃんと楽しんで、明日からの力にしよう」

そうできるようになってから、休みは週1でいいんだな、と分かった。とりあえず、家から離れる。日中の家事はお休み。ランチを食べる。後は、目的に合わせてのんびり。医者でも、マッサージでも、カフェでお茶でも、デザートを食べるでも、本屋三昧でも、カラオケでも良い。

これ以上の休みは欲しなくなったし、食事の材料の買い出しのときに、デザートやお菓子を買うこともほとんどなくなった。それ以外の時間の幸福度と集中も上がったと思う。

 

そういえば、以前、毎日、高級チョコを1つずつ食べたら、買い食いをしなくなった、という話を聞いたことがある。これはこれでなるほどと思うのだが、私はつくづく、自分の意志で物を考えない人間なので、じゃあ、チョコを買えばいいんだと買ってみた。本質もわからず、考えなしに真似をする、というのを、ずっとやってきたし、それで随分とお金も使ってきた。その人は、高級チョコで本当に幸せになれる人だった、という話だ。

私はやはり、一定時間家を離れることが必要なのだと思う。まあ、この辺は、同居で家族とうまくいっていないという違いもある。なんにせよ、自分を知るのがとても大事だということ。そして、やっとそれがわかってきた、ということだ。

けれど、私は自分の気持ちが全く分からないところからのスタートだったので、よくここまで内観できるようになったと思う。お金を使った、というのも失敗のようだけど、自分の幸せはこれじゃないというのが分かっただけでも無駄ではなかったと思う。

 

今日、唐突に、「意識から義父を消そう」と決めた。きっとまた、悪口を言ってほっとしたくなるときもあるだろう。けれど、その度に自分に言い聞かせる。「幸せになるために決めたんだよね。もう十分、この人には学ばせてもらった。さようなら」

 

うらやましさにもモヤモヤする。きれいな家、ママ友同士が楽しそうに話している姿、バリバリ働く人、良い車、素敵な服。それが出来ない、持てない自分、うらやましくて嫉妬する自分、落ち込む自分。その感情からは目をそらしたくなるけど、あえてそれを見つめる。「ああ、うらやましいんだ。私は持ってないから。できないから。ダメな自分を認めたくないね。つらいね。でも、大丈夫。そうなりたいなら、そうなれるよ」

「ない」自分ではなく、望む未来をみよう。うらやましいのは、自分にそれを求める気持ちがあるから。だから、それはイメージすべきものなのだ。

ワクワクの設定

今日は大きなことを引き寄せの設定にしてみようと思う。願いは「夫と子供と暮らせる家を手に入れる」

正直、ずっと家が欲しかった。けれど、これまでずっと、義父への怒り、どこかへ行って欲しいという思い、同居の不自由さから発した不足感で願ってきたので、おそらくかなわないだろうと思っていた。

けれど、傷ついた心が癒え、怒りが少しずつ収まってきて、悪口をやめて、あるものに目を向けることができるようになってきたので、改めて設定してみようと思う。

 

以前にも書いたが、義父の建てた古い家は、手入れをするうちに少しずついとおしくなり、感謝も生まれてきた。ここでもきっと楽しく暮らせる。そうしたい。

けれど、新しい清潔な家でのびのびと暮らしてもみたい。そうしたら、きっともっと幸せだ。素敵な家に、自分の選んだインテリア。好きなものだけしかおかない家。床暖とエアコンで快適な部屋、裸足で気持ちのいい床、明るい室内、おしゃれなカーテン、私の背丈に合ったキッチン、1時間でもくつろげるバスルーム。好きな時間に好きなところに居られて、好きなものを好きなだけ作って食べる。

 

先取りの行動で、土地を決めたらいいというので、隣接する畑はどうだろうと夫と話した。でも、何だかワクワクしない。

そして、ふと気づく。この場所でもきっとたのしく暮らせる。そうしていきたい。

でも、ここじゃなくてもいい。若いころは新潟市にいて、ずっとそのままいたかった。今は、新潟じゃないと幸せになれないとは思わないけど、もう少し新潟市に近くても良い。行きたい店がある。人にも会いやすい。やりたいこともできるかも。

夫の仕事は専業農家。農業機械は高いので、ローンがある。夫がここを出るとなれば、家と仕事、そして、その返済(あるいは見込み)が必要になる。また、今、周辺から任されている農地をどうするかという問題もある。ただ、夫自身、本当に熱心に勉強しているが、田舎の考え方に辟易しているところもあるようだ。

 

義父母といても良い。まだイライラするときもあるけど、きっと楽しく暮らせる。義父のことを必ず意識から消してみせる。

それでも、一緒にいなくてもいい。そんな生活もしてみたい。

ただ、義父母はどうするのか。一緒にいても居心地が悪いだけだと思うのに、同居を自慢にしている義父は、出ていくのを嫌がるだろう。親を残して出ていくのだと、うわさで非難されている人を見たこともある。

 

そんなことを考えると、本当に大きな設定だ。私たち家族の仕事や未来がすっぽり入っている。でも、かなえたい。どうせなら、一番いい形が良い。全員が納得する、最も良い形で叶う。そう決める。

 

あと、そんな家で、在宅でパソコンに少しだけ向かって、月100万くらい稼ぎたいし、趣味が同じ友達とランチや飲み会をしてゆっくり話したい。家族でたくさん旅行も行きたいし、SNSで交流した人と旅先で会ったりもしてみたい。それだけ動ける体力と、凝りのない楽な身体も欲しい。

 

パートに出るのはやめて、毎日自分を整えて過ごす。今、自分のやるべき、家事・育児を楽しく一生懸命にやる。週1回のランチと自由時間で1週間チャージ!そして、やりたいと思っているカウンセリングの講座を受けてみる。

そんな風にしていたら、きっとやりたいことも、願いをかなえる方法も必ず出てくる。そう決める。