ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

感情の分離

私は義父が嫌いなのだが、そうすると、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、になってることがあって、気をつけなきゃなぁ、と思う。

例えば、義父の建てた家が嫌い、仲良くしている近所の人が嫌い、義父のずっと生きてきた地域であるこの集落が嫌い、義父の好きな食べ物が嫌い、義父が好んですることなんて全部ダメ!

 

本当に嫌なら良いのだが、そうでないものまで嫌悪感を持っていると、嫌いって感情はとても力を使うので、いつも疲労感を抱えることになる。

 惰性で放置すると全部嫌いになってしまうので、まず思考にストップをかける。本当に嫌い?嫌なことをされた?私が迷惑をこうむっている?そう考えると、本当に嫌なものなんてほとんどない。そこで、「義父は嫌いだけど、〇〇は無関係だよね」と自分に言い聞かせる。

 

反対に、楽しいという気持ちの中にもいつも罪悪感があった。

楽しいことをしているはずなのに、おいしいものを食べているはずなのに、欲しいものを買ったはずなのに、こんなことをしていていいのか、こんな無駄遣いをしていいのか、私ばかり楽しんでいいのか、という気持ちが同時発生する。

結果、心から楽しめず、せっかくお金や時間をかけたのに、かえってストレスをためてしまう。

 

これに気づけたことは大きかった。

こちらも、惰性で放置せず、ちゃんと言い聞かせてやる。「いつも頑張ってるんだから、これくらいしてもいいよ。ちゃんと楽しんで、明日からの力にしよう」

そうできるようになってから、休みは週1でいいんだな、と分かった。とりあえず、家から離れる。日中の家事はお休み。ランチを食べる。後は、目的に合わせてのんびり。医者でも、マッサージでも、カフェでお茶でも、デザートを食べるでも、本屋三昧でも、カラオケでも良い。

これ以上の休みは欲しなくなったし、食事の材料の買い出しのときに、デザートやお菓子を買うこともほとんどなくなった。それ以外の時間の幸福度と集中も上がったと思う。

 

そういえば、以前、毎日、高級チョコを1つずつ食べたら、買い食いをしなくなった、という話を聞いたことがある。これはこれでなるほどと思うのだが、私はつくづく、自分の意志で物を考えない人間なので、じゃあ、チョコを買えばいいんだと買ってみた。本質もわからず、考えなしに真似をする、というのを、ずっとやってきたし、それで随分とお金も使ってきた。その人は、高級チョコで本当に幸せになれる人だった、という話だ。

私はやはり、一定時間家を離れることが必要なのだと思う。まあ、この辺は、同居で家族とうまくいっていないという違いもある。なんにせよ、自分を知るのがとても大事だということ。そして、やっとそれがわかってきた、ということだ。

けれど、私は自分の気持ちが全く分からないところからのスタートだったので、よくここまで内観できるようになったと思う。お金を使った、というのも失敗のようだけど、自分の幸せはこれじゃないというのが分かっただけでも無駄ではなかったと思う。

 

今日、唐突に、「意識から義父を消そう」と決めた。きっとまた、悪口を言ってほっとしたくなるときもあるだろう。けれど、その度に自分に言い聞かせる。「幸せになるために決めたんだよね。もう十分、この人には学ばせてもらった。さようなら」

 

うらやましさにもモヤモヤする。きれいな家、ママ友同士が楽しそうに話している姿、バリバリ働く人、良い車、素敵な服。それが出来ない、持てない自分、うらやましくて嫉妬する自分、落ち込む自分。その感情からは目をそらしたくなるけど、あえてそれを見つめる。「ああ、うらやましいんだ。私は持ってないから。できないから。ダメな自分を認めたくないね。つらいね。でも、大丈夫。そうなりたいなら、そうなれるよ」

「ない」自分ではなく、望む未来をみよう。うらやましいのは、自分にそれを求める気持ちがあるから。だから、それはイメージすべきものなのだ。