私は小さいころから、父の機嫌をうかがって損ねないように生きて来た。その生き方はやがて、他人に対しても適用されるようになり、自分の意志がないまま相手にただ合わせるだけの付き合い方をずっとしてきた。
義父のように、次々に要求を増してくる人に断ることもできない。義母のように、話をスルーする人に聞いて欲しいと頼むこともできない。
「ふつうはこうするでしょ!」と怒って、相手がこうだから悪い、何で私の周りはこんな人間しかいないんだと被害者意識で怒るばかりだった。
だからと言って、自分の要求を通せばひどい自己嫌悪に襲われる。結局、どちらを選んでも苦しいだけだった。
そして、子供に対しては、背を押してやることがどうしてもできなかった。
子供には自我がある。だから、ただ厳しいだけのしつけは後で問題が出てくることもあるだろう。
ただ、うちの子には、「言うことを聞きたいけど、自分からは動けない」というタイミングがあったように感じる。「やろうね」と言って、少し強く背中を押して導く。手を引いて、こっちへ呼ぶ。「お返事しようね」と促す。
イヤイヤと言うかも知れない。「そうだね、嫌だね」それは認める。「でも、必要だからやろうね」そして、「ちゃんとできたね。えらいね」ちゃんとほめてあげる。
私の育児には、それがすっぽり抜けていた。
何度も呼びかけて、なだめて、おだてて、褒めて、交渉して。それでも、動かずに、けれど、私の顔を見ていた。あれは、もしかしたら、私が背を押してくれるのを待っていたのかも知れない。
けれど、私にはどうしてもできなかった。たとえ、相手が子供であっても、自分の意志を通す度に襲ってくる自己嫌悪が苦しすぎて、背を押すことが出来ず、困り果てて、大きな声で怒るしかない。結局、それも自己嫌悪を生むだけなのだが。
幸い、カウンセリングを受けたことで、最近、自分の希望を伝えることに対する抵抗はだいぶ減った。嫌な気分になって、希望を伝えることを回避しかけるのだが、何とか持ち直してやってみる。回避してイライラするときもあるけど、そのおかしさに気づく。そんなことを繰り返している。
子供に対しても、できないかと四苦八苦している。今日はうまくいった。今日はダメ。成功率は半々くらいだろうか。子供の疲れや安定やタイミングもある。自己嫌悪する、落ち込む、つらくなる。でも、少しずつだが、立ち直りや、望むものを見るスピードが早くなってきている気がする(これまでの数日レベルの落ち込みがひどすぎたのかもしれないが)
普通の人は、こういう経験を繰り返して、大人になって子供を産むんだろう。でも、私は今までこういうことは全くしてこなかったから、人に思いを伝える折衝は今からスタートなのだ。10代くらいの経験値だろうか。
夫にこんな話をしたら、「服を脱ぐとき、一番上のボタンだけ外してやると後はやる」と言っていた。なるほど、参考になる。
こういうことを色んな人に聞いてみるのも良いのかも知れない。
例えば、義母に「子供が言うことを聞かないときどうしてました?」って聞いてみるとか。頼り頼られを繰り返して、人は仲良くなっていくという。こういう質問が距離を縮めてくれるのかも知れない。
まあ、「知らね!」とか言われて、イラッとするだけかも知れないけど。