ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

良い気分で過ごすこと

良い気分で過ごせば、良いことが引き寄せられてくる、というのは引き寄せの基本だけれども、今日聞いたことには衝撃を受けた。

何をしたか、は問題じゃない。とにかく、どういう気持ちなのか、だと。

掃除や食事の準備のようなやらなければいけないことを、ひたすら嫌だと思いながらやるか、少しでも楽しめることを見つけてやるのか。

趣味の時間を過ごすときに、こんなことしてていいのかなと罪悪感を持ちながらやるのか、思いっきり楽しむと決めてやるのか。

それで、その先が180度変わってくるという。

 

そう思うと、私の実家は、いろんなことをする家だった。

特に父は、今も毎日、少しのお金を払って専門の人にやってもらえばいいじゃないとか、買えばいいじゃないと思うようなことまですべて自分でやり、聞けばいいようなことまで隅々まで説明書を読み、朝から晩まで決めたことをやり、始めたことをやめないことを誇り、誰からも後ろ指をさされない生き方をしていると様々なことを気遣う。そして、いつも、これだけやっているのに、誰もわからない!みんな怠けてばかりいる!とイライラしている。

父に怒られるので、自然と家族も引っ張られて、イヤイヤいろんなことをする。

私も少し前まで、父のコピーのような生き方をしていた。それは本当に苦しかった。

なので、この考え方があまりいいものでないことだけははっきり言える。

 

引き寄せをはじめとする自己啓発の本は、一度読んだだけでは理解できないことが多い。

勿論、日本語だから書いてあることはわかる。

ただ、理解できない部分は「へー、〇〇すればいいんだ」と思うだけで、全く頭に残らない。

しかし、しばらくして、何かを体験したりして、突然腑に落ちるようになることがある。

レベルか何かが上がっているのかも知れない。

 

引き寄せの本を読めば、必ずと言っていいほど出てくる、「感謝できることを探してみましょう」もそうだった。

私は最初、このワークができなかった。

当時、私は、両親の不仲を何とかしようと、苦痛で仕方ない実家に戻ったところだった。ところが、戻った途端、生きることが苦しくて仕方なくなり、このつらさから逃れたいという気持ちが常に頭を占めるようになった。

藁にもすがる思いでワークをやってみたが、「両親も健在だし、身体も健康だし、家もあって住むところに困らないし」などと考えていると、「どうしてこんなに苦しいのに、感謝なんかしなきゃいけないんだろう」と思えてきて、涙が止まらなくなってきたのだ。

勿論、今では、たくさん思いつくし、それで心があったかくなるし、わざわざワークをしなくても、日常的に感謝を味わって気持ちを切り替えることもできる。

当時は、感謝のワークを理解する力すらなかったのだろう。そして、とにかく、傷ついていた。

 

最初の話に戻るが、「とにかく良い気分で過ごすこと」が重要と考えると、「今の自分じゃだめだ。ワークをしなきゃ」や、「一日一回ワークしてます。後は最悪の気分で過ごしてます」ではうまくいかない理由がよくわかる。

おいしいものを食べたり、買い物をするときに、自己否定するのもとにかくもったいない。

ストレスで病気になる、などというのもこれで説明がつく気がする。ストレスを感じている以上、そんなにいい気分で過ごしている訳ではないのだから。

 

そう思って、改めて考えてみると、「義父と仲が悪くて冷戦状態だけど、同居は解消できなくて、声が聞こえるだけで不愉快。顔を見たくないから、行きたいときに行きたい部屋にもいけないし、ホント嫌になる!」と言えば、結構キツい状態の気もするけど、「でも、出したものが放り出されているとか、キレイにした部屋を汚されている、腹の立つ会話が聞こえてくる、といった時間をトータルしても、多く見積もっても15分かそこらだよね。あとは全部無関係の時間!」と考えれば、そこから意識をそらすのはそれほど難しくない気もする。

とはいえ、腹が立ったときは「ムカつく!あ、ネガティブはダメだ。良いこと考えなきゃ」より、「ムカつくムカつくムカつく~!!!そうだよ、あんなことされたらムカつくよね。でも、もう十分怒ったから、ここらで切り替えて、良いことを考えよう」の方がいいらしい。

自分には甘く、優しく、だ。