ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

義父のこと2

義父とは、生きる目的からして違うのだろうなと思う。義父以外の家族は、細かい違いはあれど、「家族が幸せであること。よい農作物を生産して、買ってくれた人に喜んでもらいつつ、お金を儲けること」で共通しているが、義父は一貫して、他人に「あなたは凄いと言われること。嫌われないこと」にしか興味がない。

なので、そのためなら、家族に苦労をかけること、嫌な思いをさせることなど、何とも思わないし、家族に対しては小さな気遣いすら全くしないくせに、他人が来るなどと言えば、よくそんなことまで頭が回るなぁと感心するレベルで指図して回る。雑草が多くないか、イネが倒れていないかといった見栄えばかりを気にし、生産量や出来にはほとんど興味がない。そして、押し売りや、営業の提案すら断ることができず、家族が苦言しようものなら、「だから、お前はダメなんだ」と逆切れする始末。

 

しかし、他人に凄いと言われること、というのは、人生の目的にするとかなりしんどいことになる。それは、他人を操ろうとすることだからだ。そうして欲しいと熱望したところで、凄いと言うかどうかは相手が決めることで、当人がどうこうできることではない。結果、どうして言ってくれないんだと相手にイライラすることになる。

また、めったに会わないならともかく、家族のように毎日顔を会わせている人間たちは「俺すごいだろ」アピールに辟易している。しかも、ささやかな気遣いすらしてくれない相手なのだから、何かをしてやりたい気持ちすらほとんどない。やれとどやされて、しぶしぶ動くくらいが関の山だ。

そもそも、凄いなどと言えること自体がほぼない。50年アップデートしてない人間に褒めるところなどあるはずもない。

 

要するに、承認欲求が強いのだろうなと思うのだが、他人に承認されて満たされるには、どうしたって努力と実績の上に立つ信頼や愛情が必要になる。それは、上っ面の見栄をいくら取りつくろったところでどうにもならない。責任をもって他人と向き合わない限り、得られないのだ。

 つまり、彼の一番欲しいものは、彼が今の生き方をしている限り、絶対に手に入らない。能力として認められる部分はあっても、任せたときの面倒くささを考えて、頼むことに二の足を踏むこともある。自分の仕事をする上で邪魔になることも多いので、放置されていることも多い。だからこそ、構ってほしくて付きまとうのだが、やればやるほど疎まれることになる。過ぎた量の飲酒をするのはその不満を埋めるためだと思っている。

 

私は、仲良くしたいと願い、献身的に尽くした相手から一方的な攻撃を受ける状態に戸惑った。カウンセリングや、引き寄せの講座、毒親の相談といった方々や、身内はもちろん、友達や子育て支援室などでも意見を聞いてみたし、そういったケースについて書かれた本も多々読んだ。

結論はほぼ一緒で、距離をおこう、だった。本来は、相手に悟られないレベルで少しずつフェードアウトしていくのがいいのだろうが、当時の私にはその余裕はなく、突然、すべてのかかわりを断ってしまった。すると、当然のように反発が来る。毎日、悪口を言われることは本当につらかった。

私にはHSP傾向があるのか、いつも自然に相手の気持ちを考えてしまう。嫌われている、恨まれていることを想像し、怒る、ということを繰り返した。これは、だいぶ弱くなったが、今でもやってしまう。

あまりにも相手の気持ちに配慮してしまうので、良い人ですね、と言われたり、本当は仲良くしたいのかと悩んだりもしたが、単に、癖になっているだけなのだろう。大切な人のためになら使ってもいいが、自分が不利益を被る関係性で断ったら苦しくなるというのでは生きづらくなるだけだ。徐々に手放していきたいと思う。