ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

育児でキツかったこと

昨日に引き続き、育児の話。

子供を産んでからずっと、理由のわからない苦しさを抱えていた。

育児は誰にとっても楽しいことばかりではない、とはいうものの、子供が話さなくなったときに、十分な愛情を注いで来れただろうか、と振り返って、瞬時に全くできなかったと思えるレベルの人は、そんなにいないのではないだろうか。

どちらかといえば、私は子供を疎んじてきた。いつも早く寝て欲しいと思っていたし、一人遊びをしていて欲しい、誰かに見ていて欲しいと思っていた。

例え、しばらく誰かに育児を代わってもらったとしても、ストレスゼロからスタートというよりも、戻った途端、ストレスフルに戻るという感じだった。

 

自分はどこかおかしいのかも知れない、母性に問題を抱えた欠陥人間なのかも、と思い続けてきたが、最近になってようやく理由がわかってきたように思う。

私のストレスは、おそらく、決められないことだ。

これが苦手で育児がつらいという話はあまり聞いたことがないのだが、私は、こういうストレスを感じている人は他にもいるのではないかと思う。

 

私が身一つだったときには、決めることというのは意外に多くなかった。

一日のほとんどは仕事の時間だし、食べ物は、料理の本を最初から順番に作るとか、左から選ぶとか、ルールを決めてしまえばいい。

休みの日も大まかな時間割りを決めてしまう。人生の大きな決断は、他人の意見を求める(ただ、何かあったときに他人のせいにしがちになってしまうが)

 

しかし、子供の世話はそうはいかない。

ミルクを飲ませるか飲ませないか、寝かせるか寝かせないか、抱っこにするかトントンにするか、半袖にするか長袖にするか、散歩にするか支援室に行ってみるか。

育ってきたらきたで、困った行動に対し、強く叱ってしつけるか、軽く言うにとどめるか、まだ子供だからと多目に見るか。

一度言ってもダメだった場合、更に聞くまで言うのか、今は諦めるのか、何か言いくるめる方法を取るか。

更に言えば、子供相手の場合、どれを選んでも正解ではないことも多い。どうにか選択しても、うまくいかないともう一つの選択肢が良かったと後悔したり、自己嫌悪を抱くことにもなりがちだ。

 

何故そんなに決めるのが苦手なのかというと、父が過干渉だったからだ。

自分と意見が違うと、「お前はおかしい。こうに決まっている」と言われ、選ばせてもらったとしても、自分と違う考えなら嫌な顔をされ、それでも自我を通すと、「お前があのとき、こうしたからこんな結果になった。俺はそうじゃない方がいいと思ってたのに」と後々までしつこく言われた。

こういうことを繰り返されると、自然に、「自分の意見を通すのは悪いこと」「間違ってたら、また嫌なことを言われる」という考えが働き、父が関与しないところでも、選ぶことを避けるようになっていく。

 

そんなわけで、私にとって育児は、苦手な決断を果てしなく迫られ続け、その失敗に自己嫌悪を繰り返さなくてはならない苦行だった。

育児本などを読むと、母親の気持ちに寄り添っている本などは「いい母親よりも幸せなお母さんになってください。そのために、お母さんが楽な方を選んでください」などと書いてあるのだが、そもそも「楽な方」がわからない。

私にとって決めることは「正解」を選ぶ行為で、「自分が心地いい方」を選ぶなどという概念がなかったのだから当然だ。

場合によっては、苦しい方が自分を成長させるくらいの考えで、わざわざ困難な方を選んだりするのだから、より一層苦しくなっていく。

そういった思考のクセに全く気付いていないので、「頑張りすぎだ」などと言われても、「じゃあ、泣いてる子を放置していいってこと?」みたいな、アドバイスしてくれた人に対して屁理屈を返すような態度を素でとってしまったりする(本人は大真面目なのだが)

 

こういったことに気づくことで、随分かかったが、少しずつ、実はやりたくなかったことをやめられるようになってきた。

直感で決めるのは相変わらず苦手だし、逆らわれると、どうしたらいいかわからず怒ってしまうことも多い。

けれど、「もう、誰かに一から十まで指示してほしい!」と泣き言を言うことはなくなり、子供といる時間を楽しいと思えるときも増えてきた。

もし、どこかで、「子供といるのが苦しい。私は母親失格だ」と感じている人がいたら、選択が苦手ということがないだろうか?それなら、この体験が何かしらの参考になったりしないかな、と思って書いてみた。