ルキンフォー

心理学・育児・発達障害のことなど学びつつ、ラクになれる生き方を模索中

我慢すること

私には4歳の娘がいる。

私が、実家から70キロ離れた、山と田んぼしかない農家に嫁いで5ヶ月ほど経った頃、妊娠を知った。

結婚を機に前職をやめていた私は、ハローワーク職業訓練を受ける直前。

峠を越えて、1時間に1本しかないバスに揺られて1時間弱。最寄りの、新幹線の入ってる駅の前にある学校ではネットショップについて勉強することになっていた。

 

独身時代は、毎週土日になると新潟市へ行き、外食やヒトカラを楽しんでいた。

嫁ぎ先でも好きなときに出かけて良いとは言われたものの、土地勘もなく、運転に自信もなく、曜日に関係なく毎日働く家族に申し訳なさもあり、結局、我慢して家族の食事作りの日々。

しかし、ストレスは確実に出てきており、SNSで新商品を見ると怒りに似た気持ちを感じたり、食事の材料を買いに出かけたスーパーで大してほしくないものを買い、詰め込むように食べて、散財と食べすぎに自己嫌悪することが続いていた。

最初は、家の野菜を売るのに役立つかも、と思って手続きを始めた学校の意味はいつの間にか、全く変わっていた。

これで堂々と家から出かけられる、あそこにはスタバもある、ランチできるお店も数えきれないほどある、いろんなコンビニも、大きなスーパーもある、週末は夫と待ち合わせて飲み屋や映画館に行くことだってできるんじゃない?

そんな期待に満ちた入校まであと数日というところで、私は妊娠を知った。

 

別に、ハローワークは妊婦さんの職業訓練を禁止しているということはない。

講中に出産予定日を迎える、ともなればさすがにストップがかかるだろうけど、受講期間4ヶ月なら全く問題はない。

にも拘わらず、私は受講をキャンセルした。理由は、母が反対したから。

私の母は、胎児が着床しづらい体質だったらしく、2回の流産の経験があり、私や弟の妊娠初期には何ヵ月もの安静が必要だったそうだ。

母は、私に不正出血があったことを理由に、寒い時期に毎日2時間もバスに揺られるなんて、何かあったらどうするの、と言った。

結局、私はご飯作りの日々に戻った。

 

戻ったものの、目の前まで来て、唐突になくなった外出の楽しみは、全く手が届かなかったときより、私を激しく失望させた。

毎日毎日、そうなるはずだった生活のことばかり考えていた私は、ある日耐えきれずに義母に胸の内を話した。

義母の返事はこうだった。

「世の中には望んでも妊娠できない人もいるのに、あなたはわがままだ」

私は泣いて怒った。

「望んでもかなわないことを欲しがっているのは同じなのに、どうしてそれが子供ならよくて、学校だったら非難されるの!わがままだって言うなら、どっちもそうじゃない!」

発言だけ聞いたら炎上しそうな言葉だけど、結局のところ、私は、学校に行けなくなったことが悲しくてたまらなかった。なのに、その気持ちまで否定されて、つらくて仕方なくなったのだ。

そして、それ以上に、外出しないことは、私にとって凄まじい我慢だったのだった。

 

あれから5年経って、子供が入園し、私は週に一度は「今日は買い物に行ってきます。ご飯は作れません」と言って出ていく。

時々、仕事をしている家族に罪悪感を持ったり、「一人だけ遊び歩いて」などと思われているのかも知れないと思ったりもするけど、それでも出かける。

授かった大切な命すら喜べなかったような思いをもうしないために。

喜んでいた人に水を差して、酷いことを言われたと怒った経験を繰り返さないために。

 

「みんなは仕事をしてる」というけど、その仕事が楽しくてたまらないかも知れない。家にいても楽しい息抜きがあるのかも知れない。外出が全く楽しくない人なのかも知れない。感じ方は人それぞれ。

同じように、「私はこんなに我慢してる!」と思っても、相手は、まさかそこまでの我慢とは思ってないかも知れない。言わなければ、分からない。

たとえもし、その人も我慢していたとしても、それもその人の選択。その人が決めてそうしているのなら、付き合う必要はない。その人がやめたいなら、自分で決めてやめるしかない。

 

必要もないのに、空気を読んでなんとなくしている我慢で起こったこと、でした。