うちの母は料理が嫌いだ。
朝起きると「ああ、嫌だ、ご飯作らなきゃ」、食べ終わると「ああ、昼はどうしよう。面倒臭い」、食べて一休みしたら「ああ、もう夕飯だ。何作ろう」という具合。
母の実家は農家でとても忙しく、年端もいかないころから「帰ってきたら食べられるように飯を作っておけ」と言われて、出来てなければ怒られる、といった風だったらしい。
まあ、嫌いになるのも仕方ないかも知れない。
それを小さいころから聞いていた私は、ならば手伝わないと、と思う子供だった。夏休みは毎日1品ずつおかずを作った。
教えてくれる人なんていなかったから、母が買っていた本を見て、ひとりで書いてある通りに作っていた。
主婦である今でこそ、私に「料理できる?」などと聞く人はいないけど、独身のころはその質問が不思議だった。
「はい!」と答えるほどの自信はない。でも、本を見れば、別に食べられるものは出来る。私はそこそこおいしく食べてる。
こういうのは「できる」って言うのかな?
そして、「できる」と言えないのと同じように、「料理好き」も言いづらい。家庭的アピールかって感じもするし、「なら、やってね」とか言われるのも嫌だ。
私はあくまで、自分の食べたいものを作るのが好きで、新しい便利そうな道具を試してみるのが好きで、スーパーの面白そうな食材を買ってみるのが好きで、お取り寄せとか外食も大好き。
って言っても、「じゃあ、そういうの詳しいの?」と言われれば、それほどでもない。
誰かに食べさせるほどの腕もないし、毎日、だしを取ったり、保存食を作ったり、肉を小分けにして冷凍するかっていうと、まずしない。
総菜も買うし、外食もするし、ジャンクフードもしょっちゅう食べる。
値段や時間や、他人の好き嫌いなどで制限がかかると、一気にやる気をなくす。
でも、子供が保育園に入って、義母に任せきりだった料理を少しずつするようになって思ったのは、私は料理はそんなに苦痛ではないということ。
食べたいものを作って食べるのは、とても楽しい。
そして、食べたいものが少しずつ決められるようになったことがとてもうれしい。
食べるものすら決めることができなかった自分については、おいおい書いていきますが。
母の影響で、ずっと義務だと思っていたことがそうではなかったということ。
そして、それを言うのがはばかられて、いちいち前置きしてしまう自分について、初めての記事では書いてみました。