先日、義父が「アイツ(私のこと)はいつになったら働きに出るんだ」と、義母に言っている場面に遭遇。
冬場家にいて、私が目障りで仕方ないのもわかる。私は夫ともきちんと話して、もう少し心を整えて、やりたいことを見つけてから出たいと伝えて了承をもらっているから何も恥じることはない。
仮に、その言葉を真に受けて仕事に出たところで、今度は「小さい子供がいるのに、仕事に出て」とかなんとか、またケチをつけることもわかっている。あの人には、ポリシーなどなく、私を悪く言うことが目的なのだから。
つまり、一つも気にする要素などない言葉なのだと、理屈ではわかる。それなのに、苦しい。何度も思い出して、楽しいはずのときすら楽しめない。
前回のカウンセリングを受ける前に戻ってしまったように、毎日、チクチクと心が痛んで、義父への怒りが止まらない。そして、「どうして私はこんな目に遭うんだろう」「せっかく、心を整えて、いいことをみようとしても、こんな風に足を引っ張られるんじゃ、うまくなんかいく訳ない」という被害者意識全開になった。
あまりにつらくて、思わず、カウンセリングの先生にメールを書いたほどだ。
そんなとき、たまたま出かけた本屋で、「あの人からの攻撃がなくなる本」というタイトルを見かけた。
パラパラ読んでみると、かつての私のような状況の人に、相手からの攻撃を薄れさせていく方法が書かれていた。ただし、できるだけ時間をかけて、相手に気づかれないようにやっていく必要があり、突然無視を始めた私ではもうこの方法は使えない。
がっかりしたが、他にもこんな状況の人がいるものなんだなーと著者のプロフィールを見てみたら、モラハラの被害者にアドバイスをされている方と判明。
これ、モラハラなの?!と早速、モラハラについてのわかりやすい本を探して読んでみた。
私、モラハラ被害者でした。
私の読んだ本は、谷本惠美さんの「カウンセラーが語るモラルハラスメント」という本。モラハラ被害者のカウンセリングを行っている著者が、今現在被害に遭われている方に向けて、モラハラ加害者の特徴と対処法(といっても、モラハラ加害者が変わる可能性はとても低く、それを踏まえた上でどうするべきか、被害者が自分で決めるしかないという結論でしたが)について書かれたもの。
私は、義父と関わってきた中で、幼稚・自分勝手・向上心がない・家族に気持ちや都合があると考えていない・自分の非を認めない・外面だけは良い・矛盾だらけの悪口で他人を貶める・自分のしていることは過大評価し、家族のそれは認めない、といった特徴を感じてきたが、それがすべて当てはまる。
義父はあまり頭が回らないので、私に叱責されれば、逃げて陰で悪口を言うことしかできないが、実際には、頭が切れ、社会的地位も高い人にもそういう人はいて、「俺の方が傷ついている」とか「お前の方がモラハラだ」などと言って罪悪感を煽ったり、不機嫌を演出して、被害者が困るのを面白がる、といった場合もあるという。とんでもない地獄だ。
また、普通の人であっても、他人のせいにしたり八つ当たりしたりすることはあるので、されている一つ一つだけ見ていくと、「私が悪くとらえているのだろうか」「こんな些細なことで傷つく私が悪いのだろうか」と思いがちで、最初のうちは、されてる方もあまり重くとらえない。また、内容はざっくりと心を刺してくるレベルの侮辱なのに、笑いながら言われるので、冗談なのかと思ったりする。
これもまさにそうで、私も最初は、実家の母にすら、自分のされたことを説明できなかった。言っても、頭の古い年寄りだから仕方ないよー、で片付けられそうな気がして、ただ、「ひどいことをされた」と連呼するしかなかった。母は、育児ノイローゼと思っていたらしい。
ただ、心は正直で、2か月ほどで、子供と二人きりになると(気が緩むのだと思う)理由のわからない涙が止まらなくなり、何がどうと説明できないのに心がつらくてたまらず、4、5か月経つと、義父がとにかく憎らしくて、「池にでも落ちて帰ってこなければいいのに」と思うようになった。そして、思ったことに激しく自己嫌悪した。
モラハラ加害者の大きな特徴は2つ。被害者のことを道具としか思っていない。そして、傷つけることを執拗に繰り返す。考えるまでもなく、両方ともクリアしていた。
モラハラと知ったことで、やはりあの状態は異常だった、私が苦しいのは当然だったんだ、と理解でき、実は我慢できたのでは、という罪悪感を払しょくできた。
また、他人にも説明しやすくなった。「モラハラ」という単語を出せば、意味は分からないまでも、正常な関係でないことくらいはイメージできるだろうし、ちょっと調べてもらうだけで、私がされたことを一から十まで説明しなくてもいい。
今更、掘り返す必要はないが、自分が気持ちの上で楽になれるヒントをもらえたと思う。